Tuesday, August 08, 2006

見直したい石油化学製品の家庭利用

私は消費者と云う言葉が気になっている。生産者に対応をした消費者と云う言葉なのだろうけれども、自主性がないヒトと云うニュアンスがしてならない。確かにテレビのコマーシャルを始め、広告漬けの中で生きている現代人は、どれほど必要かどうか分からない品物まで上手な広告のお陰で買ってしまう。モノを買えば、GDPが拡大をするので、経済活性化することになっている。今はそれが善とされている。自分もこれまで「要らないモノを買う」と云う多くの罪を犯してきているが、最近にそれがすごく気になりだした。もちろん、ケチと云うよりは、なぜ買うのかをきちんと正当化できなければ買わないと云うだけのことなのだが、「欲しい」から「これだから必要」と云うマインドになってきていると思う。

今日のニューヨークタイムズ(タイトルクリック)を読むと、家庭用の室内用フレーグランスを恒常的に使っていくと、血液中に発がん性物質1、4ジクロロベンゼンの残留値が高くなるとの長期試験結果が出たらしい。そんなことを読むと、その他の家庭用品のすべてを疑いたくなる。香りもさることながら、ホコリがつきにくい、虫除けになる、光沢が長く保てる、除菌効果がある、すべてについてどのような総合的な身体へのインパクトを考えて検査されたものなのだろうかと、思う。洗濯洗剤にしても、きれいに洗える、香りが良い、ソフトなタッチになると云うメリットばっかりだが、下水で流された後のことは、誰も広告しない。何となくきな臭い感じがする。

アメリカでは、ここ数年にかなりのナチュラルスーパーが出てきているので、総合的に環境のことを考えて品物が作られている感じがする。環境意識を持って品物を作るところと、株主のことだけを考えて利益を上げようとする企業には、何か大きな差がある。もちろん、企業側にしても、これまでのビジネスモデルをすべてひっくり返して、環境だけに専念すると云うことは簡単にできないだろう。原材料の調達、ユーザー側の求めているものは何かの再検証、利益モデルなどもきちんと押さえなければならない。現行の生産から流通までの流れを見ていくと、どうしても相互依存のパターンができており、良いものを売ってるときなら良いが、(例えば環境に)悪いものを売っていても簡単に変更できないと云う複雑さがある。洗剤などにみる石油化学製品がその良い例だと思う。

化学工業などの発展で、家庭でも多くの利便さが増えた。しかし、それをよりバードビューな観点から、それぞれの「消費材」がどのような環境へのインパクトを与えているのか、厳しく判断をする必要があろう。残念ながら、マスコミも広告収入に頼ったりするので、全面的に頼りにならない。使う側の視点で、しかも総合的な環境問題を十分に加味した上での判断ができるのは、官ではなく、地球人のわれわれの責務だと感じている。しかし、よほどのことでもない限り、反企業的になる必要はないだろう。これこそ「消費者」の意識にかかっていることだから買わなければ、メーカーも商品を変化せざるを得ないだろう。だから、皆で意識を高めていくことが、最良の行動なのだ。その「消費者」なら、かなりの自主性を持ったヒトに変貌している。頑張ろうー。

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