Sunday, August 12, 2007

大きく変貌するアメリカの玉子市場

玉子は筆者に取って子供の頃から好きだった食材だ。いろいろな調理の方法があるが、子供の頃から自分でゆで卵にしたり目玉焼きにしたり、あるいは納豆と一緒に混ぜて食べてきたものだ。最近の日本での玉子の小売価格は知らないが、戦後の高価格時代から生産性の高まりもあり、比較的長い間インフレを除いた実質価格は下がっていたものだと思う。その背景には、生産者がどんどんと設備を拡張して数多くの大型養鶏場を作ってきたりしたからと言えるだろう。そうして多くの消費者の栄養の向上に役に立ってきた観がある。長いこと玉子は栄養と多様性の王様として君臨してきた。

しかし、玉子が量産できる背景には、多くの問題が内包されていることが徐々に分かってきた。もちろん、栄養価が高いこともあり、すでに飽食の日本人に取ってはコレステロールと云う化け物と玉子がくっついたりしたものだから、いつの間にか玉子は、善良な食材と云うイメージから過食飽食の時代にあっては、逆に悪者になってしまうことにもなった。さらに、問題になっているのは、玉子を産む鶏の扱いがあまりにもひどい事例が多々あり、その扱いの悪さが原因でストレスの固まりのような鶏の玉子となるだけでなく、変な飼料などもらっていること、自然な生活もさせていないことから来る問題となった。玉子が悪いと云うよりは、人間が玉子を悪くさせてしまった原因とも言えそうだ。急激に成長をさせるために、多くの養鶏所の鶏の足は骨折するのだそうだ。足の筋力がつかない段階で人工的に太らせてしまっているからだ。何だかそのような鶏や玉子なんか食したくない感じもする。

最近、量産された玉子を人々が敬遠をするようになってきた。その理由を探っていくと多くの理由が挙げられそうだ。養鶏場で大量生産された玉子や鶏の肉が敬遠されるようになった背景には、養鶏場で大量生産された鶏は、人工飼料だったり、栄養強化、成長剤、劣悪で非人道的な環境において成育されていることから、そのような玉子や鶏の肉は何か消費者にとって不安をもたらすような意識になってきていることが上げられよう。要するに育て方が不安の原因になっているのだ。

アメリカでは、籠に居られて育てられる鶏のことをcaged chickenと云うが、最近ではcaged free(つまり籠に入られて成育されていなくて、放し飼いの鶏)の玉子が大流行になってきているようだ。この裏には動物愛護協会などの地道な活動や存在は無視できないもの。もちろんこのcage free鶏や玉子は、とても割高だがそれでも需要があまりにも急上昇しているために供給が追いつかないようだ。cage freeだと云う認定をしている団体はHumane Farm Animal Careと云う組織だが、2003年に、認定顧客2社で約19万羽だったものが、現在では19社で190万羽の鶏の成育環境などを認定するところまで急増した。

アメリカの大手レストランチェーンのWolfgang Puck社も全面的にcage freeを求めるチェーンとなったりしているだけでなく、アメリカではcage freeを求める運動が盛んになったことだけは間違いない。現在のアメリカの玉子消費の5%近くにも上っているようだ。こうなってくると、ちょっとした流行だけと云うことで見過ごさせなくなってくるのだろう。

鶏がcage freeなら、牛の方はgrass fed(牧草飼育)が流行だ。まだ、何が安全な基準かどうかは確定していないが、量産方式はどうも知的層の中では反発され始めている。これらの購入者層が、ロハスの中核的なヒトだからレストランやスーパーなどでもcage freeが見受けられるようになっている。これら基準で収まるとは思わない。より精度の高い基準が目立ち始めることになると思う。ただ美味しいだけで済む時代から、食べる対象の動植物がどのように飼育・栽培されてきているのかも大きな選択基準にだけはなってきているようだ。

Monday, August 06, 2007

アメリカお持ち帰り食材の動向

スローフードの運動が始まってから久しい。しかし、アメリカではファーストフードだけでなく、テークアウト、つまりお持ち帰りの習慣がどんどん増えてきているらしく、忙しい現代人の姿とスピーディーなライフスタイルが顕著になってきている。テークアウトの代名詞はチャイニーズ料理だったが、最近では中華料理にこだわらず、ちょっと気取った高級料理店のモノも増えているらしい。いつの間にかテークアウトを無視できない状況になってきているようだ。スローフードを標榜するヒトも多くなっていると思うが、ファーストと便利を追求するヒトは減らないようだ。

1955年には、食品購入の予算の25%がレストラン関係に使われてきていたものが、今日においてはアメリカ人が食費の内、外食に投下する比率は何と48%にも達している。こうなってくると5370億ドルものの外食産業が無視し得ない状況になってきていると云えそうだ。しかも、その使われ方に変化を見せているのは、お持ち帰りの比率が高まっている点だ。2006年の統計で見るとレストラン内で食事をする回数とお持ち帰りの比率は既に逆転していると云う。つまり、アメリカ人は平均して一年に208外食を食事するとのことだが、その内でレストラン内が81回なのに対して、お持ち帰りが何と127回になると云う。このような統計は業界団体の調査機関が発表しているので、中身と意味を良く吟味してかからないといけない訳だが、アメリカの外食比率、その中でもお持ち帰り比率は確かに増えているらしい。

レストランなどもこうなってくるとドライブスルーの施設を増やしたり、電話での注文などにも応対できるようなインフラをつくらなければいけない。厨房のレイアウトや料理人のアレンジも変わって来よう。もちろん、携帯電話やインターネットなどでの注文も行なわれるようになるだろうから、食事の風景が相当変わってくることだけは間違いなさそうだ。

忙しい現代人が、時間を惜しみ食事を切り詰めて行くのは想像できるが、問題はなぜ生活をそのように小刻みにしていき、自分の首を絞めていくのだろうかと云う問題だ。お持ち帰りだから悪いとは言わないが、一年中それをしていると食事をベースに自分での体調を整えることはできにくくなるだけではなかろうか?ロハス的指向の強いボールダーでは、自分で食べるものを、簡単であっても作ろうとする傾向が強いと思う。ファーマーズマーケットに行き、その日の朝取れ立ての食材を買ってきてサラダなどにして食べることは栄養価の問題だけでなく、精神的にもロハス的にも健全なはずだが、それを怠っているアメリカ人の食生活は理解しにくい。

マイケルポーランの本にも書かれていたが、フランスのパラドックスに悩んでいる訳だが、フランス人はワイン、チーズやパンその他脂身の多いものを食しながらも肥満の比率が低いことに驚いているは滑稽としか言いようがない。食事に時間をかけ、楽しみながら食べていくことがどれだけ健康に良いのか理解をしていない模様だ。アメリカでは、ハヤメシはアメリカ民主主義の柱のような意識でいるので、パワーバーやすぐ手頃に食べられる栄養価満点のスピーディー食材が多い。

日本でも外食文化が浸透し始め、自分で食事を作ることをしないヒトが増えてきている。そうしていつの間にか日本では、これまでなかったような肥満のヒトも増えているのは、何か関連ある気がする。メタボリック症候群や糖尿病の増加などは、食生活だけが原因でないにしても、大きな要因であるのに違いない。忙しいことは大変だと思うが、こころの余裕を作るようにして、食べるものを作る楽しみをもち続けること、地産地消に努めること、時間をかけて食べるようにすることを心がけることが、健康につながることを理解しておく必要があると思う。

Friday, August 03, 2007

牧草育ちのステーキを食べよう

スーパーマーケットで売られている食品で、生産者の顔が見えるモノは少なくなった。場合によっては、皆無に近いと言って良かろう。生産効率、輸送効率、販売効率などを考え、食品の流れは消費者にとってブラックボックスに入ったも同然だ。最終的に奇麗にパッケージングされ、手頃なコストで販売されると消費者にとってもとても買い求めやすい土壌が長年築き上げられてきた。

私も10年前にアメリカに来てからよくステーキを食べてきた。一番好きなカットはリブアイ(Rib Eye)で、脂が適度にあり、ジューシーで肉質が良かったので、知人や友人を招いてはそれをバーベキューして食べてきたものだ。もちろんUSDA(米農務省)の高級グレードのものを買ってきては楽しんできたし、安心だと思って買ってきたのだ。Grain fed(トウモロコシなど雑穀の飼料で育ってきたもの)の特性は、ひときわジューシーで栄養価が高いものと考え買ってきた背景がある。しかし、先月紹介をしたマイケル・ポーラン氏のOmnivore's Dilemmaによると米国の大手の畜産業は必ずしも健全な食品を作ることに専念をしておらず、どうやって速く肉生産のサイクルを速めるのかに躍起であると云うことを読み、大地の恵みであるはずの肉についてはかなり懐疑的になった。それは豚や鶏でも同じであるらしい。

生育を速めると云うことは、多額の補助金で栽培されたトウモロコシを使い、畜舎に何千頭もの牛をかき集め、大量に餌を与えながら太らせると云うもの。肉生産のサイクルを速めるためにも、成長ホルモンを使ってきたことは良く知られている。ポーラン氏の本によれば、通常5年間かかるであろう成育をたった18ヶ月で達成させてしまうこともあるのだそうだ。運動もしていないので足腰が弱い牛は、良く足を骨折するらしい。それほど成長が急なものであり、トウモロコシは元来牛の餌でないものなので、牛の方も拒絶反応を示すことも多いらしい。つまり胃酸過多などを経験するなどなれないものを無理矢理食べさせられていることになると云うものだ。

牛舎には何千頭もの牛を飼うことで、その糞尿の量は恐ろしいものとなり、糞尿の池ができて数マイル先からでも異臭が漂うものとなるらしい。衛生上の問題も発生することは当然となり、牛が病気にならないように抗生物質を投与されることもあると云う。メタンガスの発生もあると云うことで、この糞尿の結集は、本来であれば肥料にもなりうるものが、逆に環境に悪い影響を及ぼすものにもなってしまうのは何とも恐ろしい。

牧草育ちの牛などは、ロハスの環境サイクルに適っている。雑草を食べながら、糞尿を落としてさらに雑草の成長をもたらしていく自然のサイクルだ。太陽エネルギーを雑草の緑が組み込んで成長をしていくサイクルを利用できることは素晴らしい。このニュヨークタイムズの記事では、ニュージランドやオーストラリアが畜産補助金をもらわずして、りっぱな輸出産業になった事例をしょうかいしている。

巨大牛舎でJR山手線並みにギューギュー(牛牛)詰めにされている姿と比べるとニュージランドの事例は健全な産業の事例だ。政府主導の貿易政策で決められる畜産の輸入には、消費者を念頭においていると云うよりは、政策的なプライオリティが働いている気もしないでもない。アメリカにおいてもColeman Meatなどのようにナチュラルなビーフを中心にしている健全な事業体もある。このようなところが、量産と成長剤などでコスト安にできた牛肉を生産して販売していると、消費者は何が良いのか惑わされていることにもなる。生産者の顔が見える販売をこれからどんどんと増やしていくことに努力をすることで、我々の財布の動きが経済的な力となり企業がより安全な食品作りに専念できるように強い圧力を作り上げていきたい。自分としては、ボールダーの郊外に自らの牧場をもち、牧草育ちの家畜をもっているエリオット家の牛肉だけを買うように心がけるつもりだ。自分が買うものは多少高くとも、ナチュラルなものが良いのは目に見えているからだ。