Saturday, February 09, 2008

食の安全について

ウェブで見ると現在日本では中国から輸入されてきた冷凍食品の安全について大きな問題が発生している由。原因はまだ調査中と云うことだが、食品の安全について考えさせられることが多い出来事と言える。

ここ数年中国経済の飛躍によって多くの、日本をも含む外国企業が進出して食品加工の会社が、現地へ進出をして、コスト的なメリット、勤勉な労働力、海外からの加工技術移転などによって中国の食品加工の存在は大きく高まったと云って良い。今回の事件の概要が、きちんと解明され、解決されることを願っているが、被害者だけでなく、気の毒にこれに携わった多くの関係者の苦労も想像を絶するものだろう。今日のアメリカの新聞によるとアメリカのオリンピックチームは食の安全を期して、北京オリンピックの際に食糧を持ち込むことになったらしい。折角、国を挙げての、中国の躍進を世界に誇示できる機会なのに、イメージ的にはかなりマイナスのところもあるようだ。今回の事件がきっかけになり、中国の行政的なインフラが整備されるだけでなく、国民全体が、食の安全を考え、より良いものを求めるようになることができれば、マイナスをプラスに転換するきっかけになることだろう。

ことをアメリカなどに目を向けてみたい。アメリカで現在大きく社会問題になっていることは、コレステロール降下剤として販売されてきた多くの高価な薬品が、心臓病や心臓発作に対してはあまり役に立たないという研究成果が出たことだ。コレステロールは下げてもそれだけでは済まないと云うことも分かってきた。食の安全と何の関係があるかと云うことだが、私には大いに関係があると見ている。アメリカや日本の問題は中国の餃子冷凍食品問題よりさらにタチが悪いと見ている。風が吹けば桶屋が儲かると云う議論にも似ているので、問題は少し複雑であり、コレステロールと食の安全は、数段階隔てたところで関係していると言える。

この問題については今後も機会があるごとに取り上げていきたいが、問題は日本を含めた欧米では、食品の加工度が進み過ぎてしまい、食品が本来持っている栄養素などがなくなり(白米や精白パンが良い事例)、モノによってはメーカーが栄養素を付け加えなければいけないものさえ出てきている。ビタミン補強などは聞こえは良いが、加工し過ぎて栄養素が飛んでしまったものをもう一度補強すると云うものだから、何のためにやっているか分からない。しかも、食品の保存度も高いのには驚くものがあり、カステラやケーキによっては、数ヶ月も保存できるようにしてある。日本からのお客さんにいただいたものもあるので、文句は言えないが、腐りにくいのは保存料の使い方が尋常でないと云うことではなかろうか。聞くところによると、日本の食品加工に入れられる保存料はかなりのものらしい。保存すると云うのは聞こえは良いが、腸内へ入ると良いバクテリアまで「保存」してしまい、消化が衰え、臓器への栄養が充分に吸収できないことになってはいないだろうか?だから、残存農薬などは当然大きな問題に違い無いが、気をつけなければいけないのは、あまり叫ばれない不要な保存料、色素、人工甘味料、などなどではないかと云う気がしてならない。健食を考えるときに、この静かな曲者を放っておくこともできないだろう。

旬なものを食して、長期保存に頼るのではなく、加工度が低い食事をすることが健康の元と言えるのではなかろうか?農家の人の顔が見え、食材を吟味して買い、自ら包丁や鍋を使いながら調理をしていくことがロハス的な生活と云う気がしてならない。コレステロールだって、そのような生活をしたら、もちろん大きな問題にはならないはずだ。そのような本も読んだので、それもいつか紹介することにしよう。もちろん、食品加工と云うのは重要な産業であり、それを叩いても仕方がない。消費者がより賢くなり、求める健康の尺度を引き上げていくことで、メーカーの「グルメ」コマーシャルに引っかかることなく、海産や大地の恵みを選別的に買い求めていけば、供給する側も変わっていくことだろう。中国の事例は多くの方には気の毒だが、多くの人々への警鐘となったことで、却って良かったかもしれない。ただ、恐怖を煽り立てる浅はかなマスコミは、今後より高度な次元からモノゴトを見るように訴えかけたい。食の問題は重要だけに、消費者の情報武装も必要になってきそうだ。

Saturday, February 02, 2008

ワシントンポストの記事

70年代後半から80年代後半に至るまで、世界のメディアは日本経済の躍進ぶりを報道し、一部では「黄禍論」ともとれるような記事も多く出たりした。日本の大躍進は西洋の大国に対して脅威に映り、長いこと欧米から、特にアメリからバッシングを受けたのもこの時期だ。

最近の日本の欧米社会でのプレゼンスは、より地元経済の中に組み込まれた形で、自然に入り込んできている。日本が、生産国として「低賃金」や「ダンピング」をして輸出していたイメージは無くなり、脅威論は少ない。この変化が良いことなのかどうかは、簡単に判定できないが、いくつかの日本企業が見事に欧米で成功をしている事実を見るとまんざらでもないのだろう。

しかし、こと日本市場に目を向けてみると、食の安全を唱導しながら、日本の政府や役所、あるいは全農などは基本的に食糧の安全施策を打ち出すことなく、日本の農業もある意味では形骸化させるようなところまで行ってしまったにもかかわらず、何か食品の安全問題が発生すると、恐怖を煽るような形でメディアと一緒になって生産者や輸入者を叩いているのではなかろうか?そんな気がしてならない。もちろん、残留農薬や偽装を許せと言っているのではなく、より根本的なところでの政策が必要なのではなかろうか。

例えば、国土も小さく、自然保護の強いニュージランドの例のように、無闇にワシントンポストが使っているような尺度でない、ナチュラル経済の導入論争を国民と討論をして、新たな道を模索するべきではなかろうか。石油資源がほとんどない島国が、食糧政策を整えないまま、自活していく道はないのだろうか。日本は、宗教的にも歴史的に自然と共存する和合の精神を持つ国として存在してきたはずなのに、最近の政治家の議論を聞いていると、国民はないがしろにされている気がしてきてならない。

ボールダーロハスでは政治的なことは書きたくないのだけれども、エンクロジャーのリンクをクリックしていただくとワシントンポストの記事につながっているので、英語のできる人には是非読んでもらいたい。内容は日本の国力の衰退について述べたものだが、私としては、現在が日本のロハス推進する好機なのではないかと考えており、地方の過疎化、人口の老齢化、心の退廃、健康状態の悪化など日本が取り組める案件はかなり多い。それをネガティブと見るか、チャレンジと見るか、好機と見るかは我々の心次第であり、豊かな国土、安全な食、健全な身体と心を目指して大きく展開するときになったと思う。