Thursday, August 07, 2014

成長の限界、、、消費者の変化と悩むアメリカ

アメリカンドリームが直面したもう一つの大きな問題は、資源エネルギー、環境の観点からの消費市場、健康市場の変化と言わなければならない。つまり、アメリカのどん欲とも言えた資源の「浪費」にツケが回ってきたのだ。1972年の有識者のグループであるローマクラブが「成長の限界」と云う報告書を世に出した。この論文は地球環境と人類のシステムがどのように相互に働きかけ合うかを理論的に試算検証したものだった。ローマクラブの経済モデルは、1、世界人口増加率 2、工業化の発展度合い 3、環境公害 4、食料生産 そうして5、資源の枯渇度合いなどについて、相互連関性を計っていくものだった。しかし、このような警告書が出たところで、アメリカンドリームを推進する産業構造は、いったん出来上がると、そう簡単には方向転換できない。巨大タンカーのごとく、舵取りをしても、変化がかなり先にしか出てこないのだった。

「成長の限界」が出された翌年の1973年に世界的な経済後退の原因ともなる第一次オイルショックが発生。石油生産国が、そもそも、自分たちが産出している石油があまりにも安く売られていることに嫌気をさして、供給を抑え、価格上昇へ立ち上がった。その後1979年に第二次オイルショックが発生するなど、生産国側の動きは、否が応でも石油の需給の原理を用いて価格引き上げが行なわれるようになった。石油をはじめとしたエネルギー資源価格は現在も引き続き上昇しているが、その高エネルギーコストにもかかわらず、アメリカ政府は市場の力に任せるなど積極的な省エネ政策には至っていない(ただし、州レベルや市のレベルでは省エネ政策を推進しているところも増えている)。
一つの事例は、クルマの燃費に関するアメリカ連邦政府の姿勢だ。特に1980年にレーガン大統領が選出され、その後、石油産業の関連が深い、ブッシュ親子の大統領の期間が相当長くあったこと、共和党政権が政権の座に占めていた期間が長かったことから企業寄りの姿勢が多く打ち出されていたことも問題をさらに複雑化させている。アメリカの基幹産業として長らく君臨してきた自動車産業が衰退していたことに対して、大型車への依存が高いビッグスリーの商品構成、特にアメリカで言うところのトラックまたは多目的車—SUV(日本ではRV車)への燃費規制を強化しないできた経緯もある。しかし、皮肉なことに政府が省エネ政策を打ち出さなくとも、あるいはアメリカの自動車メーカーが積極的に燃費の良いクルマを出さなかったために、消費者は燃費効率の良い日本ブランドの車両へと徐々にシフトしてきたので、いつの間にかアメリカ市場における輸入ブランドの市場構成は過半数を超えるようになってしまった。
もちろんアメリカの自動車大手3社は、燃費の良いクルマも出している。しかし、問題なのは、それら燃費効率の良いクルマを出しても、マーケティングに対する後押しが利益率の高いクルマに偏重をしていたことが、間接的には販売に悪影響を与えたのだろう。日本車メーカーが、従来の低燃費車に加え、プリウス、シビックなどのハイブリッド車を出していったことも、エコメーカーとしての日本車の地位を引き上げたと言える。最近では日産のリーフ電気自動車やトヨタも燃料電池のクルマを導入すると発表している。アメリカはハイウェーで廻らされた自動車大国だ。ビッグスリーが長いこと君臨してきたその自動車大国でロハス的な商品を提供した日本のメーカーの人気が一般的に高いのはそのためだ。アメリカンドリームをよりグリーンなものにしていく社会的な運動は、消費者が自らの財布を使い、経済産業を動かし始めたと云うことで注目して良い。
クルマほどではないが、やはりアメリカ農業大国において、農業と云う面で影響力を持った日本人がいる。私が住んでいるボールダーコロラドの有機農場のことを取材していたときに、その農家の主が有機農法を目指したのは、ある日本人の影響によるものだと云うことを知らされてびっくりした。ボールダー近隣の農家には絶大な影響力を与えた人として紹介されたのは、愛媛県の福岡正信氏だった(1913年2月生まれ)。英訳された代表的著作の「自然農法・わら一本の革命」は、絶版になっているが、それでもウェブでは数多く紹介されているだけでなく、篤志家のおかげでそれを無料ダウンロードできるようにまでなっている。
先に書いたように、アメリカではロハスと云うコトバの認知は低い。しかし、ロハスの方向へ行っていないかと云えば、そうでは無い。きちんと勢いが出つつあるのだ。まだまだ、アメリカンドリームを夢見る人たちがいる中で、現実と期待値には大きなギャップもあるが、私はアメリカの方向転換に大いに勇気づけられている。まだ、紆余曲折もあろうが、方向が正しいことを祈っている。

世界的に見るとアメリカの相対的な経済力の地位は着実に下がっている。しかしそれが問題だとは思わない。そもそも経済力とは何かを考えていくときに、経済力が環境を破壊するような企業を多く抱えることであったり、国民が高度のストレスを抱えていたり、不健康な農業生産を行なっていたりするのであれば、そのような「経済力」は不健全だ。不要な消費を促し、廃棄物を多く垂れ流し、地球環境を悪化させるような経済の仕組みからの変換脱却が急務と云えよう。人間に幸せを測る尺度は、多くの実験を経て変わらざるを得ない。実質的生活レベルを後退させること無く、地球と共生をして、自らの健康を守り、どのように生きていくか、探るべき時が来た。そうなるとライフスタイルは変わらざるを得ない。アメリカンドリームの要素の根幹は変わっていくことだろう。多くの先陣の努力によってロハスのムーブメントは始まったところだ。

健康は最終目的ではなく人生を楽しむための手段だ、、、

今年の春からGQ Japanでブログを掲出するようになった。そちらではよりタイムリーな原稿を出し、Boulder Lohasでは、少し掘り下げた内容にしようと考えている。よろしかったら記事を読んでみてください。




このブログでは、筋トレやキックボクシングなどのトレーナーをしている人を取材したのだが、トレーニングの目的は健康になるということではなく、更に自分のスポーツ能力を高め、多くのスポーツを長く楽しむためであると極言されてしまった。そのなかでも「日々、正しい選択することで、自分の能力を高めるものとなる」とまで言われた。つまり、トレーナーのリサ マンダルさんにとって、健康は当たり前、しっかり自己管理さえしていれば健康でいられるということになるのだ。

新約聖書のコリント人への手紙の中に「 Your body is your temple」という文言があります。つまり「あなたの身体は聖霊の住む神殿」の表現を借りれば、身体を鍛え、大事にしなさいということなのだろう。フィットネスについて考えさせられたインタビューだった。

Monday, July 21, 2014

ベトナム反戦を契機に変化するアメリカ

アメリカでの社会的成功の尺度は、より大きな家、より大きなクルマ、そうして何よりも事業的な成功がモノを言った時代が長く続いた。私が70代の大学生時代に読みふけった大衆小説家のハロルド・ロビンズの多くの小説に共通しているテーマはビジネス・サクセス物語だった。私も英語的な表現で、Nothing succeeds more than successと云うコトバを習った。 成功することが最も素晴らしいと言ったところだろうか。その成功の尺度はカネであり、物質的なものを追い求めるアメリカンドリームだったのだ。
しかし、その夢物語も、60年代に入り、アメリカがソ連をはじめとした社会主義陣営との闘争の一環としてベトナムに参戦することによって、カーソン女史の環境問題以上に大きく社会へのインパクを与え始めていく。第二次世界大戦では物量作戦と科学によって大勝したアメリカではあったが、50年代初期の朝鮮動乱は東西冷戦と云う構図の中での一時的な不覚としても、東西冷戦構造が深まる60年代のベトナム参戦は、アメリカの若者の心に政府、権力や大企業への不信感を生ませることになる。徴兵制がしかれていた時代であったので、くじ運が悪い若者たちがベトナムに行くことになった。最初は社会主義陣営の拡大を阻むと云うアメリカの若者にとって正義の戦いだったものが、戦死傷者が続出するようになり、不毛な戦いに厭戦気分が強まっていった。
ここで不思議な現象が始まる。60年代後半からアメリカのリベラル的なUCバークレー大学やオハイオ州のケント州立大学などで反戦運動が起こり始め、鎮圧に走った当局との間で大きな衝突が繰り返されるようになる。アメリカンドリームを満喫していた若者たちは、社会的な緊張感の中で従来の価値観に共鳴をしなくなってくる人が増えた。この本ではロハスの源流を探っているので社会学的な解釈をするつもりは無いが、反体制的、あるいは反権力、反大企業の風土が出てきたことに留めておこう。特に大企業に不信感を抱き始めた若者たちの中でコミューンを形成する方向へ走ったり、ヒッピー運動を始めたり、反体制になったり、アメリカンドリームの成功法則に外れた人々が出たことに注目したい。後でもっと詳しく述べるが、マックドナルドなどのような事業とはかなり違ったナチュラル・ビジネスがこのような反体制の若者から創出されることになる。この人たちは、従来のアメリカ型成功方式を受け入れずに、自然との共生を求める動きに集約していくのだ。
私の住んでいるボールダーなどでその後、事業的に成功した人たちの中で有名になったのはハーブティーのアメリカ最大のメーカーになったセレッシャルシーズニングス社のモー・シーグル氏や豆腐王(豆乳も含む)になったスティーブ・ディモス氏などがいる。彼らはまさにヒッピーのような生活をして、アメリカ的事業精神に当てはまらず、新たなナチュラル・ビジネスを形成したパイオニアだ。もちろん、その当時は、彼らとて異端者の時代であり、境遇は苦しく、今の億万長者ぶりの生活からほど遠い生活を送っていたが、彼らが新たな方向に歩んだのは、ベトナム戦争と云う転換のきっかけがあったからに他ならない。

また、このようなベトナム戦争がきっかけと云う事態と同時に忘れてはならないのは、キリスト教の文化の中に、東洋思想が芽生えるきっかけも出ていたことを述べなければならない。元々キリスト教が成功法則を求めて、ビジネスに邁進していたと云うつもりは無い。しかし、キリスト教文化に代表されるのは、その当時は保守的な、体制側的宗教だったことには違いない。そんなことから反体制青年が抱えているいろいろな悩みの回答を引き出してくれる宗教に思えなかったことも事実だろう。当時のポップスターだったビートルズが、インドの瞑想を行なうなど、ヨギーたちに傾倒をしていったことで、彼らをアイドル視する若者たちも東洋的な思想にはまり込んでいった。
東洋の精神的な思想は、殺生を忌み嫌い、多くのアメリカの若者が菜食主義者になるきっかけも作った。前に紹介したディモス氏などが菜食主義者なのはこのような背景によるものだ。また、だからこそ、豆腐王などになる資格があるのだ。まさにマックドナルドのハンバーガー文化と全く相容れない思想が60年代の後半から強くなっていく。ナチュラル・フードのビジネスは極論をすれば東洋思想のインプットが無ければ成立しなかった面もあるし、出来たとしてもかなり違った性質のものになっていただろう。東洋の神秘性が求められていったのは、間接的なことかも知れないが、ベトナム参戦によってアメリカドリームがすべての人々の心に受け入れられなくなったことを示すと云える。
さらに、面白い現象としては、保守的なアメリカの価値観を先鋭的に主張するキリスト教原理主義の政治勢力も強まった反面、60年代や70年代の社会的混乱の中から対抗勢力としてのアジアの新たな文化的価値観、あるいは宗教的な考えもアメリカの主流とまではいかなくともロハスの源流として入っていったと思う。アメリカに70年代から、出たり入ったりを繰り返してきた私にとっても、アメリカの国民的な多文化を受け入れる精神風土は相当変わってきたのを常々感じてきた。その中でもアジアの文化が多方面から静かにアメリカ人に受け入れられるようになった訳だが、ミート・アンド・ポテトの食文化に中に寿司などのかなり異色な食事が流行ったり、禅、ヨガや霊気と云ったキリスト教文化が異端視したような文化も入ったりした。私は70年代からアメリカで合気道の指導を行なってきたが、そのすそ野の広がり方、一般的な理解の深さは日本人が想像する以上のところに来ている。アメリカン・ウェー・オブ・ライフが根本から変わったと云うのでは無いが、和を尊ぶ合気道が好まれるとか、太極拳など西洋思想から絶対発生しなかったようなものまでもが自然に受け入れられるようになっている。異端視されないようになったことが、文化の多様化を示すものと言えるだろう。



ロハスの思想が、アメリカだけの土着の思想では無く、東洋の思想と結びついていることが面白い。西洋の資本主義思想が、壁に突き当たり、そこで競争的な原理から、より和合の精神へと変わっていくことに、大きな変化を見出すことが出来る。私は80年代の初期に当時世界最大の自動車メーカーだったゼネラルモーターズ社に在籍していたときに、トヨタ自動車やスズキ自動車などと合弁交渉に携わったが、まさに巨大企業のゼネラルモーターズでさえ、アメリカンドリームの変化を感じ取り始めていたと言えまいか?アメリカのビジネス、商品モデルなどが消費者に受け入れられなくなっていた時代だ。

Friday, July 11, 2014

ロハスの源流を遡る(2)

当時のアメリカ人は、当然見えない社会問題を内包していた時だが、外向きにはきらびやかな姿が大いに映し出されていた時で、多くの中産階級のアメリカ人もアメリカの戦争での勝利は、科学力と産業力の勝利と考えていたと言える。軍事産業の要だった、毒ガス開発や武器用火薬の産業なども平和産業に移管し始め、除草剤、殺虫剤や化学肥料の平和産業に業態転換をして、戦後の経済発展の大きなシェアを大いに享受していた。
農業の機械化は19世紀から始まっていたが、第二次世界大戦終了を機に農業従事者も急激に減少し始め、農家の数が減少する中で、より集約的な大規模農法が盛んになった。殺虫剤、除草剤の空中散布や化学的肥料などの活用も高まり、アメリカの農業生産性も飛躍的に伸びた。集約をすること、生産性を上げることが善とされ、軍需産業の平和利用転換がうまく行き、これを疑う人はアメリカンドリームを否定するかのように見られていた時期だ。
しかし、順調なアメリカンドリームの推移のようであったが、徐々にアメリカ国内の見識のある人の中に、アメリカ経済の変化について疑問を呈する人々が徐々に出てくる。ここでは、すべての人々や事象を網羅することはしないが、代表的な事例などをいくつか取り上げていきたい。
そのひとりに、環境問題を未だかってない情熱で啓蒙活動をした人がいる。もともと海洋学者で、アメリカ連邦政府の漁業局で科学者として、そうして編集者として活躍したレイチェール・カーソンだ。彼女は公務の時の執筆はもとより、公務の研究成果をもとに私人としても博物学、自然科学に関する多くの啓蒙書を執筆した。高まる自然への愛情をより多く、深く表現するべく、カーソンは1952年に公務を辞め、執筆活動に専念し始める。

カーソン女史は、私たちが生きている自然界の不思議さと美を広めようと云うことで多くの著作を著した。カーソン女史の視点とは、人間がこの不思議であり美しい環境と一体であることを念頭においていたものだが、一方では人間の行動が、その自然界のバランスを崩すことが出来るネガティブな力を持ち合わせ持っていることにも大きな警戒感があった。しかも、人間の軽率な行動によって破壊された自然が修復・再生されないかも知れないと云う懸念を強く持ち始めていた。
アメリカンドリームでこの世の春を享受していたアメリカだが、カーソン女史の春は別物だった。博物学者として自然に近いところから接していたカーソンは、農業機械化の進展や殺虫剤やその他の薬剤が空中散布されることにより、多種多様な鳥が姿を無くしていくことに気がつく。もちろん、鳥たちの食べ物になる虫が居なくなることもそうだったが、殺虫剤を振りかけられた小鳥たちも大きな被害を受けたのであり、そのような状況を目にしたカーソン女史は、1962年に「沈黙の春」と云う本を著す。もちろん、「沈黙の春」と云う原題の意味するところは、鳥が少なくなって、春になっても鳥のさえずりが聞こえなくなったことへの抗議声明文だったとも言えるだろう。博物学者だった同女史の活動は、次第に農業化学者、化学品業界や政府への痛烈な批判に変わっていく。自然界をもてあそび、化学薬品でバランスを崩している人々との対立的な姿勢が強くなってしまったのは言うまでもない。
当然化学薬品業界はこぞってカーソン女史を批判した。政府関係者も彼女があまりにも人騒がせの性質であると見解に立ったが、彼女は勇気を振り絞り1963年にアメリカ議会の公聴会で自然環境と人間を守るように具体的な事例を多く挙げ証言した。そのカーソン女史は訪れようとしている死期を予期しての活動だったのだろうか。翌1964年に乳ガンとの闘病生活にやぶれ、彼女は亡くなった。カーソン女史が打ち放った警鐘は、多くの見識ある人々の心をとらえ、環境運動の一つの大きな柱になった。

しかし、実際カーソン女史の警鐘にも関わらず、その意見は主流のアメリカが取り上げるようなところまで行かなかった。アメリカの国土は広く、資源も豊富にあり、人々は勢いがついていた経済成長を引き続きサポートした。カーソン女史の発言は、もちろん環境派のバイブルのようになるが、物質的な豊かさを享受し始めた大方の国民の願望は、女史の心配をよそに物質主義まっしぐらの傾向を示した。2008年、アメリカはもとより、日本でも彼女の生誕100年行事を多くの人が祝ったことは、彼女の行なった活動が無駄になるどころか、現代のロハスに直結していることを物語るものである。

Wednesday, June 25, 2014

ロハスの源流を遡る (その1)


時計の針を60年ほど前に戻すことが出来るのであれば、恐らくその当時の世の中の主流は、現代的なロハス的な発想を時代に逆行するネガティブな運動として看做したことだろう。当時のアメリカは戦後の経済ブーム、物質的なブームを享受していた時だったからで、それに疑問を呈する人は至って少なかったからだ。
第二次大戦が終わり、多くの海外戦線にいた軍人がアメリカに戻ってから大いにアメリカの経済は沸いた。戦後間もなくベビブームが起こり、50年代に至っても、東西緊張はあったが、経済は急速に上昇気流の中にあった。1957年はソビエト連邦のユリ・ガガーリン宇宙飛行士が宇宙船スプートニックで初の大気圏外での宇宙飛行に対抗して、アメリカも次々に宇宙衛星を打ち上げていた。翌年の1958年は英米間を当時の航空会社BOAC社がジェット機で運行した最初の年となった時代だ。また1956年には、ドワイト・アイゼンハワー大統領が、自動車メーカーの強いサポートを得て、インターステート・ハイウェーを全米に廻らす法案に署名したことによって、ハイウェー建設が本格的に始まったのもこのころだ。50年代は、アメリカの住宅建設も急激に伸び、好景気、有利な税制、戦後勢いがついた住宅建設業界、住宅融資が簡便になったことなどでアメリカの住宅の所有率が国民の6割を超えたのもこの時代だった。
アメリカ自動車産業は当時華やかな時代を迎えた訳だが、ハイウェーや道路交通網の発達で、都市から溢れ出た人々が郊外に庭付きの住宅をこぞって買い求めアメリカンドリームが生まれた 。所得の増大と安いガソリンの存在で、クルマなどもどんどん大きくなり始めていた。絨毯のように手入れされた青緑の芝生と白い柵がある庭で、大きなオートマのクルマの運転をしている家庭は、当時の日本では羨望の的だったことを記憶しているヒトも多いだろう。知っていなくとも映画でこのような姿を見たことのあるヒトも多いはずだ。テレビ番組でアメリカの家庭の紹介が全世界に行き渡ったのもこの頃だった。50年代の半ばと云うと、イギリスのビートルズに先立ち、アメリカで全盛を迎えていたのはエルビス・プレスリーだった。当時のめっぽう明るい時代を代表する歌手と映画俳優の出現だ。


クルマをベースにした郊外型のコミュニティの形成でドライブイン映画シアターやドライブスルーのファーストフードやいろいろなサービスも出始め、経済はさらに華やかに発展していた。大型冷蔵庫や、大きなオーブンなどの普及により、冷凍食品や簡便な加工食品が徐々に定着し始めた。クルマの普及などにも関わるが、郊外型の駐車スペースがたっぷりとられているショッピングモールやスーパーマーケットが出現をして、アメリカの郊外で展開されるライフスタイルは、戦前のものとは打って変わるような勢いで変化を始めた。巨大スーパーの出現は、価格競争とか流通販売効率をこれまで以上の、大型スケールで導入し始める結果となり、まだ、本格的にコンピューターの導入は無かったもののコストパーフォマンスが高まり始めていた。この結果、中小のリテーラーが大型店を立ち向かうと云うパターンが出来始め、大型スーパー同士での競争の激化に伴い個人経営などは経営効率が悪いと云うことでどんどん淘汰されはじめていた。
郊外移行による広大な土地、安いエネルギーコストなどによってスケールメリット(規模の経済)を追い求めるアメリカ産業の勢いは止まるところを知らなかった。レストランなども郊外型のフランチャイズ事業が増え始めたのもこの頃で、地域ごとを越えた全米チェーンの出現で、加工やディストリビューションセンターがどんどん発展普及した。このような発展などで味覚が規格化されはじめ、どこで食べても同じような安定的な味やサービスが提供されるようになる。勘ぐってみれば、ヨーロッパやアジア戦線で経験を積んだ米軍の効率を念頭に置いた食事や補給システムが郊外型の新市場であるコミュニティに降りて来た感もある。
ファーストフードの代表格であるマックドナルドは、ディックとマック・マクドナルド兄弟によって1937年に軽食スタンドとして始められたものだが、その中でもハンバーグが一番人気だと分かると1948年頃ハンバーグを早く安く出すようなサービスを展開し始めていた。最初はハンバーグ、ミルクシェーキ、フレンチフライに集中して、注文があってから競争相手よりもすぐに出すサービスするようにして約半額の値段で売って成功をした。ミルクシェーキ・ミキサー機のセールスマンであったレイ・クロックが1954年にフランチャイズ権をとり、拡大発展をさせていく。マックドナルド・システムの成功に当時触発された企業は多く、アメリカのファーストフードが定着を始め、業界の一つの基準となった。つまり「ファーストフード」が全米を席巻するきっかけを作ったのだ。


マックドナルドの発展の基盤を作ったのはレイ・クロックだが、マックドナルド兄弟がシェーキミキサーを8台使い客への食事のスピーディ・サービスを提供していたのを見て感動をした一人だ。レイ・クロックは、マクドナルド兄弟のような大量にミキサーを使う顧客を多く持つことでシェーキミキサーをいっぱい売ろうと企んだらしい。しかし、ミキサーを売る人がハンバーガーのフランチャイズ権をとり、マクドナルドの発展に寄与したことは歴史のいたずらだ。このシェーキにまつわるスピーディ・サービスがファーストフードのキーワードだったのを知っている人はアメリカでも少ない。

Monday, June 23, 2014

ロハスの広まり

ロハスと云うことばが世に広まり始めてからまだ15年も経過していない。しかも、そのわずか数年の間に、 日本国民の7割以上がロハスと云うコトバを認知するレベルに至っていると云う調査もある。驚くべきことだ。正式な定義などを理解していなくとも、ロハスが自己健康管理や地球環境、精神的な癒しなどが含まれていることがこうも早く日本で認知されるようになったのはどのような理由からなのだろうか?もちろん、媒体、あるいは一部の広告代理店、商魂逞しい企業あるいはトレンド・ウォッチャーなどが、いち早くロハスを取り上げて、その普及に邁進した背景もあると思うが、それだけでこのコンセプトがこのように早く広まったとは考えにくい。早く広まった背景には、それを受け入れる土壌が出来ていたと見るべきだろう。


一つの考えは、国民の潜在意識の中に、社会のテンポが急激に加速度化していることで、その急速な変化に対応する心のゆとりが少なくなり、個人的や地球的な規模でそれを軌道修正しようとする精神が働いて、この何となくやさしい響きのコンセプトを受け入れているのかも知れない。スピーディー過ぎる社会変革への反動としてスローに戻りたいと云う気持ちの現れだったとも考えられる。
もう一つは、人間の生活の豊かさに大いに貢献してきた科学の進歩が、崩れ始めている自然界の均衡を必ずしも防ぎきれていないと云う焦燥感から発生している面もあると思う。科学は、生産性を高め、人間の物質的な豊かさを大いにもたらしたのは確かだが、科学者は、自分の技術分野には目を向けることはあっても、統合的な視点が欠けてしまうことも時によってはあるからだ。科学の発展は多くの場合、懸案となっている問題解決はできたとしても、それによって逆に自然界の微妙なバランスを予期しない方向で崩れさせることがあるからである。もちろん、ここでは科学の発展をけなすつもりは無い。純真な意図で作られたものが、政治やビジネスの世界などで悪用された事例があまりにも多いからだ。良心的な科学者の悩みはそこにあるだろう。
いずれにしても、これから見ていくように、ロハスと云う概念は、突然に現れたコンセプトではなく、また、経済思想でも哲学的な概念でもないことだけは言える。カルチュラル・クリエーティブ(文化的な創造者たち)あるいはロハスと云う言葉を作り上げたのはポール・レイ博士とシェリー・アンダーソン博士の二人が、「社会学的」統計手法で、アメリカの消費市場全般を研究した上で、消費市場のクラスターやトレンドを健康や地球環境保全に関わるような消費行動カテゴリーとして拾い出し、彼らの手法でいわゆる「カルチュラル・クリエーティブ」「ロハス」市場規模を推測したものなのである。

アメリカに目を向けるとこのロハスと云う概念を知っている人は、ナチュラル産業に携わっているごく一部の人しか知らないと見るべきだろう。だから、日本人がアメリカ人に対して「ロハス」「ロハス」と言うときに彼らも少し認識のギャップを感じるに違いない。しかし、アメリカ人がロハスと云うコトバを知らずとも、アメリカがロハスを実践していないと云う意味ではない。アメリカでは、ロハスと云うコトバのくくりは無くとも、「グリーン」や「サステイナブル」あるいは多くあるその他の表現で、ロハスに内含されるような意識をすでに持ってきているからだ。
ロハスはトレンドや一時的な流行ではなく、着実にメインストリーム、つまり主流の時代思想になりつつある。これまで、グリーンやサステイナブル、あるいはリサイクル、代替エネルギー、補完(代替)医療などといった考えはどうしても知識人リベラル派の夢物語だったものが、今では実行しなければならない正当な考えとして受け入れられるようになっている。この変化の持っているインパクトは大きい。
ロハスはもはや表層的な変化ではなく、産業革命以来一途に邁進してきた産業の発展が大きな岐路にさしかかっていることを意味している。見方によれば、石炭、石油と云う炭素系エネルギーの時代が曲がり角に来ていることでもある。アメリカでは、いわゆる「ポスト・カーボン・ソサイエティ」と評されるものだ。だから、健康やサステイナビリティを超えたところの変化にもつながつがる。
こうなると、ライフスタイルを維持するのではなく、新たな時代の現実に適うライフスタイルの模索が始まっているといって良い。発展に対する願望は、当然発展途上国の中では未だに強く、ロ
ハスの潮流変化の中でも、新時代への抵抗を持つところも多い。世界の人々の生活水準を上げなければいけないと云う課題の中で、時代の変化に対応するためにも苦痛を多く伴うことも出てこよう。しかし、すでにいろいろな警鐘は鳴らされている。もうLOHAS 4.0は待ったなしの時代だ。

Friday, June 20, 2014

ロハスは続いていくのか?

蝶の一生を大まかに分けると、卵(たまご)、幼虫(ようちゅう)、蛹(さなぎ)、成虫(せいちゅう)の4ステージがあるわけだが、ロハスもまさに、このステージごとの変態(メタモルフォシス)を経て成長していると見ることはできる。しかし、飽きっぽい日本人は、ロハスという言葉、あるいは概念がすでに大方定着したので、次のトレンドは何かとよく聞いてくる。いやいや、ロハスは終焉をしたのではなく、これから「本格的」に稼働を始めると考えなければいけない。

近視眼的に見ると、あるいはロハスは一つの流行だったと言えるかもしれない。それは多くの人がロハスを商機としてとらえたからに他ならないが、何でもロハス、ロハスになり、ガンガンと言われ続けるとロハス疲労を来している人も多くなったのだろう。しかし、ロハスが唱えてきた、持続可能な経済、健康的なライフスタイル、代替医療、自己啓発、エコなライフスタイルといった5本柱は、衰えるどころか、ますます広まり、定着化していくのは間違いない。今後はそのカテゴリーは、バラバラのものではなくより統合化されたものに変貌を遂げていくだろう。統合化される過程でこの五つのカテゴリーは次世代のパズルを解くキーワードになるのだ。

まさにロハスという言葉自体、80年代の初めから半ばにパーソナルコンピューター(PC)が出現し、マイクロソフト社が、ワード、エクセル、パワーポイントなどの統合ソフトを出し「マイクロソフト・オフィス」と命名したのに似ている。ロハスもすでにあった事象を、後述の社会学者がまとめた研究だった訳であり、五つの社会的潮流をロハスと命名した訳なのだ。それまで別々だったものが統合化されてくると、カテゴリーは集束し始め垣根はなくなっていく。

今の若者はPCの変態(メタモルフォシス)であるスマホのない生活は考えられないが、ロハスが唱えてきた5本柱は、すでにより統合的なムーブメントに変化をし始めている。ロハスという言葉が残るかどうか何とも言えないが、ロハスの定義で含まれた5本柱は、蝶のようにメタモルフォシスを経ながら、成虫となり羽ばたいていくことになるだろう。

このブログでは、そのメタモルフォシスがどのような形で進んでいるのか、今後予想される姿がどのようになるのか、ボールダーの街から見てマクロやミクロの視点から検証していってみたい。まずは、ロハスは蝶の一生のように卵(たまご)、幼虫(ようちゅう)、蛹(さなぎ)、成虫(せいちゅう)の4ステージがあると最初に書いたが、それについても少し述べてみたい。これは全くの自説なので、区分で異説が出てくるかもしれないが、最初は個別の案件だったものが、徐々に集約していっている経過を示すためのものなので、ご理解いただきたい。


卵(たまご)期 レイチェール・カーソンの「沈黙の春」、ローマクラブの「成長の限界」などの著作が現れた時期 (1950年代終わりから70年代初め)

幼虫(ようちゅう)期 自動車排ガス規制などが始まる70年代半ばから気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書が討議された90年代の後半まで

蛹(さなぎ)期 ナチュラルスーパーのホールフーズなどが出現し始める80年代後半から(一部重複)Natural Expo WestやBiofachなどの有機商品の世界的な展示会が始まる00年代半ばまで。この時期の後半にロハス・コンセプトに関わる著作「文化的な創造者たち」現れる。

成虫(せいちゅう)期 アル・ゴア米国副大統領が「不都合な真実」を著す06年前後以降。ハリケーン・カトリーナやハリケーン・サンディー、あるいは東北大震災の福島第一原発事故の時期とも重なる。

これから書いていくブログでは、必ずしもロハスを前面に出さないかもしれないが、ロハスの核となっている五つのカテゴリーについては、それがどのような形で変貌しようとしているのかマクロやミクロの点で書いてみるつもりだ。その前に、ロハス広まりの経緯やより歴史的なところに足を踏み入れてみることにしよう。

LOHAS 4.0

LOHAS 4.0

企業戦士の生活からロハスの聖地と言われるボールダーに住むようになってから、17年が過ぎた。その間に世界を騒がす大きなできごとがいくつもあった。2001年の9.11テロ事件、イラクアフガン戦争、2008年のリーマン・ショックと29年の世界恐慌を彷彿させつようなアメリカの大規模な景気後退、ニューオーリンズを襲ったハリケーンカテリーナ、東北大震災と福島原発、巨大人口の中国の爆発的な消費社会化とアジア、中近東における新たな政治・軍事的な緊張関係などである。



一方で、これらのできごとと並行して、静かにロハス革命が進行していたといえる。世界は確実に変化しはじめているが、その変化速度は速いにもかかわらず、ニュース性がより高いこれら世界的なできごとの雑音にかき消され、ロハスの進化を促す新たな動きを自覚できている人は少なかったのではなかろうか?既存の経済秩序の中で存在する企業や経営者、あるいは行政を司る官僚機構なども変化の先取りをしている人はまだ少ない。まるで、産業革命夜明け前のラッダイト(機械打ち壊し)運動のように、進歩を妨害し、時代の変化を察知できなかった19世紀時代の人と変わりない。ぬるま湯に浸かったカエルのように、温度が次第に上がっていっても鍋から飛び出さない現象に似ていると思う。

現在と産業革命前夜との大きな違いは、当時の産業変革は、環境に致命的な被害を与えるほどの環境破壊でなかったものなのだが、現在の地球環境は、方向転換をしなければ取り返しのつかない危険水域に到達してきていることだろう。多くの環境学者は、ことの重大性を認めつつも、政治的なコンセンサスが取れないままで流浪してしまっている、まさに迷える宇宙船地球号なのだ。

今月から日本のGQ Japanのウェブ版でブログを掲載することになった。GQ Japanでは、LOHAS 4.0にかかわるトレンドの話題を取り上げ、個人ブログではより深く突っ込んだ話題を展開していくつもりだ。読者の皆さんと意見を交換しながら、ロハスの展開をフォローしていければと思う。

Tuesday, June 17, 2014

スポーツマンのマナー

ブラジルで開催されているワールドカップでの日本人応援団の行儀の良さが評判になっている。だいたい、ゲームが終了して競技場を清掃してかえる応援団は世界中のどこを見てもいないからだが、日本政府が日本人のイメージを改善しようとしていくら金を賭けてもできないことをグラスルーツの活動でできたのもすばらしいことだ。スポーツ観戦だけでなく、これが、環境を改善の運動に繋がっていってくれることを願うばかりだが、日本では渋谷区や港区の区議会議員の人たちの間でGreen Bird運動を行っている訳だし、さらに広まってくれることを願っている。やはりきれいな街は気持ちが良い。

何かスポーツを行うと、自分の権利主張を前面に押し出す人が多い。パブリックな場面でも周りの人がスポーツを理解応援するの当然という主張だ。自分たちがどのような迷惑をかけているかについては意識もなく、自己中心的な動きをする人たちだ。個人的な意見だとサイクリストにこの傾向が強い気がする。公道を使うことからそうなる訳だが、もちろん、すべての人がそうだと言っているのではなく、一部だが、クルマとサイクリストの間の緊張感を高めている。

そういう緊張感は、ネガティブなエネルギーと考えるべきだろう。昨日、玄関先にアイアンマンの主催者たちからクッキーのプレゼントがあった。我が家は、アイアンマンのイベントが使う道路の一部と重なるので、沿線の住人のためにプレゼントを配ってきた。しかも、買ってきたものを配ったのではなく、自分たちがクッキーを焼いて配ってくれている。夏中、お宅近くの公道を走るので、ご迷惑をおかけしますが、われわれの周りを気をつけてドライブをしてくれてありがとうという趣旨だ。

ボールダーがスポーツのメッカであり、それなりの品位があるのは、このようなスポーツマンの姿勢によるものだろう。サポートをしてあげたい気がする。



Friday, June 06, 2014

In God We Trust (我らは神を信じる)ー信仰での複合化の動き

最後のブログを掲出してからかれこれ3年が過ぎた。その間に多くの方から、ロハスはどうなったのか、もう終焉したのか、これから何がライフスタイルのトレンドになるのかなどと問い合わせなどを受けてきた。ボールダーはライフスタイル・トレンド発祥の震源地の一つなので、これまで長く月刊誌ソトコトや当ブログで連載をしていたので聞かれても当然のことだったと思う。書く内容がなくなったのではなく、少し充電をしていただけなので、再び書くきっかけを探していたに過ぎない。

そんな中で、たまたま先月日本のある雑誌社のウェブ編集長がボールダーを訪れ、天皇陛下や橋本前総理大臣が食事をされたボールダーの高台にあるフラッグスタッフ・ハウスという高級レストランで会食する機会を得た。帰国された編集長からメールをもらい、同誌にブログを書かないかということだったので、メールのやり取りを行い、引き受けることにした。同誌のウェブとこのサイトで平行して掲載することにした。新規ブログについては、ロハスの源流から始まり、今後のロハスに触れていきたい。

今日のブログは単発的なものとして掲出する。私は特定の宗教の信者ではないが、政教分離と言っても、アメリカでは通貨(紙幣とコイン)にIn God We Trust (我は神を信じる)と印刷あるいは刻み込まれているし、大統領や政治家の重要なスピーチのまとめには必ずと言っていいほどGlod Bless America(アメリカに神の御加護がありますように)で締めくくる。

ワシントンポスト紙のReid Wilson記者が、6月4日付けで書いた記事によると、アメリカの宗教別の人口は、キリスト教徒が人口全体の4分の3以上になるという。そうしてその内で半分以上がプロテスタント派に所属し、23%がカソリック、モルモンは2%という数字が出ている。

アメリカはキリスト教が主流であること自体さしてニュースにならないだろうが、10年毎の国勢調査で、キリスト教に次ぐ、州別、郡別宗教信者はどのようなものであるのかまとめたチャートによると相当驚く数値が出てくる。アメリカの西部地帯は、キリスト教徒に次いで、仏教徒が顔を出すし、中西部や南部ではイスラム教徒が目立つ。北東部中心にはユダヤ教の人が集積している。アリゾナ州やデラウェア州ではヒンズー教徒が多いし、サウスカロライナ州では、世界のすべての宗教は同根とするバハイ教の信徒が多いらしい。
同記事のリンクを見ていただくと、郡ごとの主力宗派なども出ているが、アメリカを理解する上で宗教という要素を加えて見ていくと面白い結果が出てくる。これを見たから何かの結論が出るということではないが、ロハス指向が強いところと仏教の信徒が多いところと少しマッチングしている気がしてならない。ブログを再開するにあたり、仏教徒のインパクトなど、その辺りについても触れていきたい。(June 6, 2014)