Wednesday, June 25, 2014

ロハスの源流を遡る (その1)


時計の針を60年ほど前に戻すことが出来るのであれば、恐らくその当時の世の中の主流は、現代的なロハス的な発想を時代に逆行するネガティブな運動として看做したことだろう。当時のアメリカは戦後の経済ブーム、物質的なブームを享受していた時だったからで、それに疑問を呈する人は至って少なかったからだ。
第二次大戦が終わり、多くの海外戦線にいた軍人がアメリカに戻ってから大いにアメリカの経済は沸いた。戦後間もなくベビブームが起こり、50年代に至っても、東西緊張はあったが、経済は急速に上昇気流の中にあった。1957年はソビエト連邦のユリ・ガガーリン宇宙飛行士が宇宙船スプートニックで初の大気圏外での宇宙飛行に対抗して、アメリカも次々に宇宙衛星を打ち上げていた。翌年の1958年は英米間を当時の航空会社BOAC社がジェット機で運行した最初の年となった時代だ。また1956年には、ドワイト・アイゼンハワー大統領が、自動車メーカーの強いサポートを得て、インターステート・ハイウェーを全米に廻らす法案に署名したことによって、ハイウェー建設が本格的に始まったのもこのころだ。50年代は、アメリカの住宅建設も急激に伸び、好景気、有利な税制、戦後勢いがついた住宅建設業界、住宅融資が簡便になったことなどでアメリカの住宅の所有率が国民の6割を超えたのもこの時代だった。
アメリカ自動車産業は当時華やかな時代を迎えた訳だが、ハイウェーや道路交通網の発達で、都市から溢れ出た人々が郊外に庭付きの住宅をこぞって買い求めアメリカンドリームが生まれた 。所得の増大と安いガソリンの存在で、クルマなどもどんどん大きくなり始めていた。絨毯のように手入れされた青緑の芝生と白い柵がある庭で、大きなオートマのクルマの運転をしている家庭は、当時の日本では羨望の的だったことを記憶しているヒトも多いだろう。知っていなくとも映画でこのような姿を見たことのあるヒトも多いはずだ。テレビ番組でアメリカの家庭の紹介が全世界に行き渡ったのもこの頃だった。50年代の半ばと云うと、イギリスのビートルズに先立ち、アメリカで全盛を迎えていたのはエルビス・プレスリーだった。当時のめっぽう明るい時代を代表する歌手と映画俳優の出現だ。


クルマをベースにした郊外型のコミュニティの形成でドライブイン映画シアターやドライブスルーのファーストフードやいろいろなサービスも出始め、経済はさらに華やかに発展していた。大型冷蔵庫や、大きなオーブンなどの普及により、冷凍食品や簡便な加工食品が徐々に定着し始めた。クルマの普及などにも関わるが、郊外型の駐車スペースがたっぷりとられているショッピングモールやスーパーマーケットが出現をして、アメリカの郊外で展開されるライフスタイルは、戦前のものとは打って変わるような勢いで変化を始めた。巨大スーパーの出現は、価格競争とか流通販売効率をこれまで以上の、大型スケールで導入し始める結果となり、まだ、本格的にコンピューターの導入は無かったもののコストパーフォマンスが高まり始めていた。この結果、中小のリテーラーが大型店を立ち向かうと云うパターンが出来始め、大型スーパー同士での競争の激化に伴い個人経営などは経営効率が悪いと云うことでどんどん淘汰されはじめていた。
郊外移行による広大な土地、安いエネルギーコストなどによってスケールメリット(規模の経済)を追い求めるアメリカ産業の勢いは止まるところを知らなかった。レストランなども郊外型のフランチャイズ事業が増え始めたのもこの頃で、地域ごとを越えた全米チェーンの出現で、加工やディストリビューションセンターがどんどん発展普及した。このような発展などで味覚が規格化されはじめ、どこで食べても同じような安定的な味やサービスが提供されるようになる。勘ぐってみれば、ヨーロッパやアジア戦線で経験を積んだ米軍の効率を念頭に置いた食事や補給システムが郊外型の新市場であるコミュニティに降りて来た感もある。
ファーストフードの代表格であるマックドナルドは、ディックとマック・マクドナルド兄弟によって1937年に軽食スタンドとして始められたものだが、その中でもハンバーグが一番人気だと分かると1948年頃ハンバーグを早く安く出すようなサービスを展開し始めていた。最初はハンバーグ、ミルクシェーキ、フレンチフライに集中して、注文があってから競争相手よりもすぐに出すサービスするようにして約半額の値段で売って成功をした。ミルクシェーキ・ミキサー機のセールスマンであったレイ・クロックが1954年にフランチャイズ権をとり、拡大発展をさせていく。マックドナルド・システムの成功に当時触発された企業は多く、アメリカのファーストフードが定着を始め、業界の一つの基準となった。つまり「ファーストフード」が全米を席巻するきっかけを作ったのだ。


マックドナルドの発展の基盤を作ったのはレイ・クロックだが、マックドナルド兄弟がシェーキミキサーを8台使い客への食事のスピーディ・サービスを提供していたのを見て感動をした一人だ。レイ・クロックは、マクドナルド兄弟のような大量にミキサーを使う顧客を多く持つことでシェーキミキサーをいっぱい売ろうと企んだらしい。しかし、ミキサーを売る人がハンバーガーのフランチャイズ権をとり、マクドナルドの発展に寄与したことは歴史のいたずらだ。このシェーキにまつわるスピーディ・サービスがファーストフードのキーワードだったのを知っている人はアメリカでも少ない。

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