Friday, July 11, 2014

ロハスの源流を遡る(2)

当時のアメリカ人は、当然見えない社会問題を内包していた時だが、外向きにはきらびやかな姿が大いに映し出されていた時で、多くの中産階級のアメリカ人もアメリカの戦争での勝利は、科学力と産業力の勝利と考えていたと言える。軍事産業の要だった、毒ガス開発や武器用火薬の産業なども平和産業に移管し始め、除草剤、殺虫剤や化学肥料の平和産業に業態転換をして、戦後の経済発展の大きなシェアを大いに享受していた。
農業の機械化は19世紀から始まっていたが、第二次世界大戦終了を機に農業従事者も急激に減少し始め、農家の数が減少する中で、より集約的な大規模農法が盛んになった。殺虫剤、除草剤の空中散布や化学的肥料などの活用も高まり、アメリカの農業生産性も飛躍的に伸びた。集約をすること、生産性を上げることが善とされ、軍需産業の平和利用転換がうまく行き、これを疑う人はアメリカンドリームを否定するかのように見られていた時期だ。
しかし、順調なアメリカンドリームの推移のようであったが、徐々にアメリカ国内の見識のある人の中に、アメリカ経済の変化について疑問を呈する人々が徐々に出てくる。ここでは、すべての人々や事象を網羅することはしないが、代表的な事例などをいくつか取り上げていきたい。
そのひとりに、環境問題を未だかってない情熱で啓蒙活動をした人がいる。もともと海洋学者で、アメリカ連邦政府の漁業局で科学者として、そうして編集者として活躍したレイチェール・カーソンだ。彼女は公務の時の執筆はもとより、公務の研究成果をもとに私人としても博物学、自然科学に関する多くの啓蒙書を執筆した。高まる自然への愛情をより多く、深く表現するべく、カーソンは1952年に公務を辞め、執筆活動に専念し始める。

カーソン女史は、私たちが生きている自然界の不思議さと美を広めようと云うことで多くの著作を著した。カーソン女史の視点とは、人間がこの不思議であり美しい環境と一体であることを念頭においていたものだが、一方では人間の行動が、その自然界のバランスを崩すことが出来るネガティブな力を持ち合わせ持っていることにも大きな警戒感があった。しかも、人間の軽率な行動によって破壊された自然が修復・再生されないかも知れないと云う懸念を強く持ち始めていた。
アメリカンドリームでこの世の春を享受していたアメリカだが、カーソン女史の春は別物だった。博物学者として自然に近いところから接していたカーソンは、農業機械化の進展や殺虫剤やその他の薬剤が空中散布されることにより、多種多様な鳥が姿を無くしていくことに気がつく。もちろん、鳥たちの食べ物になる虫が居なくなることもそうだったが、殺虫剤を振りかけられた小鳥たちも大きな被害を受けたのであり、そのような状況を目にしたカーソン女史は、1962年に「沈黙の春」と云う本を著す。もちろん、「沈黙の春」と云う原題の意味するところは、鳥が少なくなって、春になっても鳥のさえずりが聞こえなくなったことへの抗議声明文だったとも言えるだろう。博物学者だった同女史の活動は、次第に農業化学者、化学品業界や政府への痛烈な批判に変わっていく。自然界をもてあそび、化学薬品でバランスを崩している人々との対立的な姿勢が強くなってしまったのは言うまでもない。
当然化学薬品業界はこぞってカーソン女史を批判した。政府関係者も彼女があまりにも人騒がせの性質であると見解に立ったが、彼女は勇気を振り絞り1963年にアメリカ議会の公聴会で自然環境と人間を守るように具体的な事例を多く挙げ証言した。そのカーソン女史は訪れようとしている死期を予期しての活動だったのだろうか。翌1964年に乳ガンとの闘病生活にやぶれ、彼女は亡くなった。カーソン女史が打ち放った警鐘は、多くの見識ある人々の心をとらえ、環境運動の一つの大きな柱になった。

しかし、実際カーソン女史の警鐘にも関わらず、その意見は主流のアメリカが取り上げるようなところまで行かなかった。アメリカの国土は広く、資源も豊富にあり、人々は勢いがついていた経済成長を引き続きサポートした。カーソン女史の発言は、もちろん環境派のバイブルのようになるが、物質的な豊かさを享受し始めた大方の国民の願望は、女史の心配をよそに物質主義まっしぐらの傾向を示した。2008年、アメリカはもとより、日本でも彼女の生誕100年行事を多くの人が祝ったことは、彼女の行なった活動が無駄になるどころか、現代のロハスに直結していることを物語るものである。

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