Friday, August 04, 2006

共和党右派の道具とされる教会

ロハスの話題に宗教のことを語るのは適切でないかも知れないが、良識派の保守派の人々がどのように悩んでいるかをニューヨークタイムズできれいにまとめているので、アメリカを少しでも理解するために簡単に説明をしたい。

ブッシュ政権が登場する政治的な後押しの陰には、アメリカの原理派プロテスタント集団がいると見る人は多い。特に堕胎問題、ゲイの問題などを政治の道具と化して、教会の集票力を用いて、ブッシュ大統領の当選と共和党「右派」のためにワシントンにこの7ー8年大きな影響力を行使してきた。最近では、イラク戦争を正当化し、中東への軍事介入がアメリカの神の思し召しのように、反戦運動する人を非国民のごとく扱ってきた。政治と宗教の分離をまったく無視したこのやり方は、まるで日本の総会屋を使った株主総会を彷彿させる。民主主義と言いながら、このような形での、「神の思し召し」を振り回し、おとなしい人々に有無言わせぬ方式が続いてきた。知的な層の多いボールダーの街はこのような問題はないのだが、アメリカ南東部のいわゆるバイブルベルトの力はかなりのものであり、保守層の教会との繋がりが強いだけにアメリカの政治に大きな歪みが発生していると言えよう。

ニューヨークタイムズが紹介するこの記事は、宗教とはそもそも政治を動かす道具ではないのではないかと云うことを主張する一人の牧師にスポットを当てている。その牧師は、「十字架と剣」と題した、一連の説教を行ない、教会としては剣に重きを置くのではなく、十字架に重きを置くべきだと云う流れの説法を展開したことを報道している。教会の信者の中で、「総会屋」的な人々に振り回されていた信者が、牧師の毅然たる態度で教会が正常化していることを喜んでいることが紹介されている。面白いのは、この牧師が、まだ主流でないにしても、すでに同じような立場で、教会の政治道具化を懸念している著作が6冊も出されていると云う。

ボールダーの宗教的な状況を見ると、人々はとても宗教には寛容だ。ここでは、特定宗派が、宗教を道具化していることはない。宗教は心の安らぎを与えることで、大きなロハス的な役割を果たしているが、政治とゴッチャになることでストレスが跳ね上がる気がする。宗教が、精神の世界からはみ出て、政治の具となっている世界の各所のところを見ると必ず争いが発生している。人の思想を認め合えない宗教はロハスではないのだろう。こんなことをボールダーで考えた、、、

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