Friday, August 15, 2008

ロハスな合気道、世界に浸透

今日は、通常と違った内容を書くことにしたい。と云うのも、私が英訳した「合気道開祖植芝盛平伝」が講談社インターナショナルから国内発売になったからだ。世界での発売は12月1日からだと云うことで、すでに英文のアマゾンドットコムで予約受付が始まっているくらいだ。講談社インターナショナルという出版元が良いと云うだけでなく、合気道開祖の伝記が初めて英訳されて出版されているので、それに対する期待も高いのだろうと推測している。

日本で始まった合気道は既に世界中に広まっている。合気道は植芝盛平翁によって昨世紀に創立された武道だが、武道としての位置付けだけでなく、人々の思想観までに影響を持ち始め、合気道は武道を超えたライフスタイルの領域まで進んできたものと思う。言い過ぎかもしれないが、ある意味では禅の思想のようなインパクトも持ち始めている。アメリカなどではコンフリクトリゾルーション(つまり、対立・紛争状況を解決する)するための経営的手段にも使われたり、事業を展開する上で合気道的なマインドで衝突を回避しながら皆が前に進む際のビジネスモデルに合気道を導入している人もいる。だから、英文版アマゾンドットコムにキーワードとして"Aikido"を入力すると、何と4277もの書籍の案内が出てくる。もちろんその中には絶版になったものもあるが、合気道がいかに武道を超えたところまで広まってきているのか示す一つの尺度だ。

合気道には試合がない。人々が稽古をする時にお互いに切磋琢磨する訳だ。決して弱者の武道ではないのは、機動隊や逮捕術として婦警にも合気道の指導がされていることからも判ると思う。試合がないから合気道にはオリンピックの対象にもならない。しかし、ゲーム化しないでいられるために合気道が真の武道としての奥深さが残されて行くのだと思う。もちろん、ヨガやピラテスのように健康のために稽古されている方も多いだろう。しかし、欧米だけでなく、中東、アジア、中南米、アフリカなどでも日本的な礼儀も浸透してきており、稽古する相手との切磋琢磨の過程で自然に対する畏敬の念が高まる感じがする。自分だけが、あるいは勝者だけでこの世の中で生きているのではなく、他の人々あるいは自然界との共存があってできるのだという自然のことが、植芝翁の伝記を読むにつけ理解できてくる感じだ。武農一如を唱えた植芝翁の考えはきっと、多くの人々の心を癒すことだろう。日本の武道が、武闘ではない、壮大な精神文化論、社会的なヒーリング、そうして多くの人々の健康のために一つのロハス的現象として世界に広まっているのは、心から喜ばしいことだ。

訳者としての苦労話はここで書くことをしないが、私の英訳を、見事に流れるような英語に書き直してくれたMIT大学の先生であるメアリー・フューラー女史にチーム・メイトとして感謝の言葉を捧げたい。

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