桐島洋子さんが1971年に書いた「淋しいアメリカ人」は知られざるアメリカを日本に紹介したと云うことで、かなり話題になった本だ。私も70年代にアメリカにいたので、その当時を振り返ると、「淋しいアメリカ人」は既にその頃から傾向は出ていたと実感していた。最近のアメリカの仕事のペースを見ていくと、余裕が無くなってきている中で、さらに悪化しているとつくづく思う。インターネット、携帯電話、ブログなどで人と人のコミュニケーションが盛んになってきているのだが、一方では、深い付き合いをするケースが少なくなり、接点は広がるけれどもコミュニケーションの密度は低くなってきていると言えないだろうか。
CNNが紹介している記事(タイトルにリンク)では、この共同体に入り込めない人、あるいははみ出してしまった世代は、特定できないほど広まっているようだ。大学生から始まり、中年、初老、そうして高齢者のすべての代で人と人のつながりが薄れてきているようだ。表面的には、人との接点があっても内面的には満たされないことが多くなってきているのだ。新規に友達を作ることが難しいことになってきている。
ここで、この問題の原因を突き詰めて、解決策を提案するつもりはない。ただ、淋しいアメリカ人が出てきている中で、その対応策を練るとしたら何をするべきか考える時に、一人で解決できないことだけは確かだ。ただ、多くの人が同じように悩んでいるのであれば、器さえしっかりと作ってあげたら、変化する可能性があると信じている。
今の日本を見ていると、アジア市場の活性化で日本も潤い始めている気がする。企業も以前に比べて効率主体の経営を始めており、株主への対策をきちんとしようとするようになった。しかし、職場の余裕が無くなっている分、できる人たちが疲弊してこないだろうか。ストレスも高まり、個人的な仕事以外での交流の場も狭まり、いずれ、淋しい人たちが増えてくる気がする。もちろん、家族も巻き込まれるような形で被害を受け、同じ家庭にいながら、意見交換が自由にできない家庭も多くなったと聞いている。
企業の生産性の効率を高めるのには大賛成だが、「遊び」の文化を、おしゃれに企業風土に組み込めるように、人事管理を始める時代になりそうだ。風通しが良く、幸せな職場が、さらに生産性を高めることを理解するべきだろう。生産効率と従業員の満足度はかなりの大きな相関関係があることを理解しなければならない。淋しいアメリカ人かも知れないが、ボールダーで見ているアメリカ人の血色は良い。そこが何かロハスなのだろうか?日本にも早くボールダー的なところが増えて欲しいと思う。
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