アメリカの国民が肥満化していることについては、これまでこのブログで度多に取り上げてきた。原因は多々あるだろうが、どういった背景でいつの間にか人々が肥満化してきたのか少しの分析を試みたい。こんな分析をして何の役に立つのかと云う意見もあろうが、日本もアメリカの後追いをしているので、少しでも消費者の注意を喚起して似たような事態にならないことを望んでいるからだ。この情報は、National Heart, Lung, and Blood Institute’s (NHLBI) Portion Distortion Quizと云うところからとったものだが、写真はDivine Carolineから拝借した。
アメリカの消費社会の象徴の一つにコカコーラのボトルがある。このボトルはデザイン意匠をとるほど、重要な商業デザインなのでアメリカの食品パッケージングデザインの中では突出したものと云える。しかし、今のアメリカにはこのようなデザインのボトルを探そうとすれば、例外的にしか見つからない。スーパーで買うボトルは「お徳用」サイズものばかりだし、ファーストフードでは、カップだけ貰い、自分で好きなだけ注ぐことができる仕組みになっているためだ。アメリカのカップの小サイズは日本の特大サイズに匹敵するくらいのものだろう。アメリカの特大は64オンスもあるので、約一升瓶程度のサイズと云う驚くべきサイズになっている。これだけで約776キロカロリーになると云うのだからアメリカ人の馬並みの飲み方はひどいものだ。
また、シアトルコーヒーと云われ、アメリカでグルメコーヒーが出現してきたのはここ20年くらいだろうか。それに伴い、従来のコーヒーにミルクを入れるようなものから、商品的付加価値を設定すると云うことで、ありとあらゆる不要なものまで入れ込み、コーヒー本来の味を超えて、別ジャンルの新食材カテゴリーを作り上げてしまっている。イタリアやフランスでは、贅沢なコーヒーはあるが、あくまでも嗜むようなサイズであり、アメリカのがぶ飲みの文化からはほど遠い。アメリカ人のコーヒーカップのサイズも、なぜあそこまでコーヒーを飲まなければいけないのかと驚くような容量なのだ。緑茶をビールの大ジョッキーで飲むようなものだと言えば、その巨大さ加減がお判りいただけるだろう。
こういった飲み物系だけでなく、食事はピザを始め、全ての分野で20年前と比べるとアメリカは、ほぼことごとくサイズが大きめになってきているようだ。サーブするお皿にしても20年前の標準なお皿が、サイズ的に小さく見えてきているとのことだ。皿が大きくなると、どうしてもサーブする量が貧弱だと困るので、皿に合わせて料理の量が増えていると言える。
ここまで書いてくると、日本はどのようにしているのだろうと考えたりする訳だが、まだまだアメリカに劣っているけれども、日本の中にもスーパーサイズミーの方向が出始めているので、気をつけなければならないだろう。アメリカには、It's a great deal(お得だ)と云うコンセプトが次第に強まってきたようだ。何故そのようになったかを考えると、どうしても広告のやり方を考えずにはいられない。つまり、他と商品的に差別するのには、価格とサイズは大きな差別化要因となるからだ。つまり、消費者はマーケッターの人によって、もっと消費する方向へうまく誘導されてきた訳なのだ。誰ももっと食べろとは言っていないのだが、小さいサイズはケチ臭く見えてくるように社会は変動してしまったことになる。ちょっぴりでも多いのが良いものなのか、実際に中身が良いのか悪いのかを考えずに、スーパーで二つの商品が並んでいると消費者はいつの間にか、内容量が少しでも多い方に手が伸びて行く現象があったと言える。
広告代理店は、顧客メーカーの販売成功を願っている。販売が増えれば、広告が成功したと云うことで、それによってビジネスがさらに増える。だから、最終消費者の利益を考えるよりも、メーカーの売り上げの方に眼が行ってしまっている。だから、消費者がやらなければならないことは、量で選ぶより、中身を吟味することだろう。自分の健康の具合、全体的な栄養の摂取などをよく吟味してから、その全体の中で、何が良いのか選別眼に磨きをかけて行く必要があるようだ。肥満とダイエットについて、いくつかの角度でブログを少し続けてみたい。
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