ボールダーを知っている人なら、いかに街がプレーリードッグとの共存を図ってきたかお分かりいただいているだろう。しかし、プレリードッグの人口抑制を図っていかなければ、生態系が変わっているので、繁殖することはあっても、減ることは少なくなる。つまり、これまでプレーリードッグを獲物としてみてきたコヨーテ、鷹なども減っている状況では、プレリードッグだけが繁殖してしまうからだ。
動物愛護の精神、環境保全の精神から、これまで街の開発とプレリードッグの住処を守ろうとするバランスが取れてきた異色の街と云えよう。外の開発業者から見れば、ボールダーは何と仕事しづらいかと云うことになるかもしれないが、ボールダーの生活者にとってはこのバランスが何とも云えなくヒーリング的な気持ちなのだ。しかし、同じコロラドでも、ボールダーから東40マイルくらいのところに農場を持っている知り合いは、プレリードッグは害虫のたぐいにしか見ておらず、ライフルをもって処分してしまう。この考え方の差は、生活がかかっているかいないかで違うのかもしれないが、いかにボールダーが異質なのかの証左だろう。
ここへ来て、ボールダーの中でもこの人口が減らないプレリードッグの問題で、意見が割れ始めた。つまり、市が作ってきた野球場やその他の公園などにもプレリードッグは進出してきている問題で、それをどのように扱うか議論沸騰しているのである。市としては、これまでいろいろなオープンスペースの空いた場所に移住をさせてきたのだが、環境派が元々そこにいなかったプレリードッグを持ってくることに移住先の生態系を破壊すると云うことで反対をしはじめている。もちろん、アウトドアスポーツ愛好家などはプレリードッグの住処よりは好きなスポーツなどを重視しようとする。動物保護派は、ワシントンの動物保護協会の介入を依頼して、プレリードッグの保護をするように政治的圧力をかけてきている。これまで自然にやさしい態度をとってきた人でも、ある線を越えると、それ以上は受け入れないようになってきていることを示している。
ボールダーが突然にプレリードッグを排除しようと動き始めたのではない。まだ、多くのコロニーは存在し、それは強い保護を受けている。問題は、生態系をいじることによって生じた歪みを、どのように解決していくのか見てみたい。ここで言うところのロハス的な要素である、環境派、動物愛護派、スポーツ派がかなり先鋭的になってきたとも言える。似たようなことが、住宅建物の歴史保古地区に住んでいる人が、本来だったら事前に改築許可を得なければいけないところ、得られないだろうと云うことで、近代的な省エネ窓を取り付けてしまった。市の条例では、歴史保存のために元のようにさせるように働きかけようと圧力をかけたが、改築をした本人は、市の省エネ奨励策を事例に出して反論をした。まさに、歴史的な記念物として残すのか、市が奨励をしているエネルギー削減の対象となるのかどちらの施策をとるかで結論は変わってくるような事態となっている。
ボールダーがロハスの聖地として言われている背景には、このように多くの対立的な立場を取りつつも、民主的な方法で何らかのバランスを模索して前進していくことにありそうだ。強権ではない、市政の押しつけではない、立場の違う人たちが妥協をするまで権利を主張し合うこと、日本的ではないかもしれないが、バランス維持のために何か参考になりそうだ。お分かりいただけるように、闘う要素は、お互いにロハス的な分子なのだから、ロハスがさらに尖って行くことだけは間違いなさそうだ。
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