最近はアメリカの自動車メーカーが大変な困難に直面していることは日本でも報道されている。しかし、あまり報道されていないことに、韓国車のクルマの大躍進がある気がする。現代、起亜、大宇などが品質の改善とアグレシッブなマーケティングで全米での売り上げを高めている。日本車の伸びの陰にあって目立たないかもしれないが、アメリカでテレビ広告を見ていると、韓国車はアメリカ車には目もくれず、日本車を意識的に攻撃する戦略をとっており、街でその姿は年々多く見かけるようになってきている。韓国車は最近目覚ましい品質の改善と、価格競争力で市場に大きな殴り込みをかけている。デザインも、物まね的なところもあるが、改善されてきているのは否定しようもないことであり、それにつられて消費者の中で韓国車が売れ始めている事実はある。
しかし、アメリカでの日本車の評判は、いくつかの問題メーカーを除いては、しっかりしたものになっており、そのブランド力は韓国車に負けるものではまだない。しかも、エネルギー問題の最中、日本車の先端的なハイブリッドイメージは、企業イメージを高くしており、韓国車のそれをかなり凌駕したものだ。日本車は、エコカーだと云うだけでなく、総合力でも高級欧州車にさえ負けないものが出てきている。自動車業界にいたものとして、日本車のブランドの発展は誇らしく感じさせるものだ。
日本の自動車メーカーは、その先進的な地位にもかかわらず、韓国車をかなり意識しているらしい。そもそも下からマーケットをさらわれるのではないかと云う警戒感からか、最近ではシビックやカローラより一つサイズの小さいクルマを市場に投入し始めている。トヨタのヤリスやシビックのフィットがそれらの新型投入商品だ。底辺を守ると云うことは、戦略的な動きであり、アメリカメーカーがやらなかったことを日本車メーカーはしっかりとやり遂げている。市場を守ると云うことでこれほど賢い動きはない。
今回のメモで書きたかったのは、それらのモデルが発表されたときに、米国のマスコミはエコ・フルーガルと云う言葉を使った。フルーガルとは質素、倹約などを意味する言葉だが、これまでの消費重点型社会では否定的に見られていた言葉なのに、今回のフルーガルは何となく賢い選択と云う意味合いを秘めているキーワードになっている。まだこの言葉の利用頻度は少ないが、質素が環境と結びつくとポジティブな表現になることは、新鮮だ。微妙な表現なのだが、今後のマーケティングのキーワード化してくるものだと思う。少なくともそのコンセプトは広まるだろう。
フルーガルは元々、清教徒などの質素な生活を表現してきた言葉であり、第二次世界大戦以前の人にとっては当然の生活価値観だったに違いない。それが大量消費社会の出現で、マーケティング用語としては死語に近いものになっていたのだが、エコと結びついたことで、とても新鮮に感じられるようになった。この言葉の出現でアメリカの大量消費社会は無くなるとは思えないが、一つの面白い兆候として、その言葉の意味することが社会的な受け入れの状況を見守っていく必要はあろう。燃費の良い小型のクルマを多く売るのも大量消費社会の現象だが、それの持って行き方次第で、マーケティングのポジションが変わるところに注目をしていきたい。フルーガルが、少しでも流行になれば、地球環境には、少しでも役に立ちそうだ。
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