石油燃料が動力源として大きな影響力を持ちはじめ、個人が移動をする自由を本格的に享受しはじめたのは、戦後のアメリカだろう。フリーハイウェーがどんどんと建設され、白い柵と庭付きの郊外住宅も夢でなくなり、モータリゼーションがはじまったのは1950年代のアイゼンハワー大統領のときだった。逆に、郊外住宅の出現は、クルマの必然性を高め、クルマ社会が確固たる存在となった。ドライブスルーや郊外の大手ショッピングセンターなどはアメリカの繁栄を示すバロメーターにもなったのだ。その後73年や79年に二度にわたるオイルショックを経て、地球資源が限りあるものと言われるようになっても、クルマ社会への依存は減るどころか、アメリカを超えて、欧州や極東の日本などにも転移した。
21世紀になり、モータリゼーションは、もはやアメリカだけのユニークな現象でなく、巨大な人口を有する中国やインドだけでなく、これまで物質的な余裕がなかったロシアや東ヨーロッパなども広まった。石油の産出が、その世界的に増え続ける需要を満たすことが難しくなり、石油の需要が逼迫しはじめている。多くの識者の中には、世界中の路上を走るクルマの増大が、地球温暖化の一因であることを語りはじめたりすることで、代替エネルギーの模索に真剣度が増してきている。水素自動車、電気自動車、トウモロコシなどを主に作られたメタノール燃料などを使うクルマなど、多くの試みがされている。メタノール燃料は一見、資源の再生が出来るということで、理想的に考えがちだが、トウモロコシ自体を生産するのに巨大な農業補助金が出されていたり、トウモロコシの生産にもかなりの「石油資源」が使われるなど問題も多い。しかも、トウモロコシがメタノールを作るために補助金をもらえるとなると大豆や小麦の生産作付けが、トウモロコシに転換されるなど、世界的に食糧の高騰につながってきており問題はエネルギーを超えて、食糧全体に広がり、厄介だ。その他の代替案が、現存のガソリン方式を乗り越えられないのだが、何とかしなければいけないという危機意識は高まっている。
今日、コロラド大学のボールダー校に、日本のバイオディーゼル車を持って世界一周を試みる3人の若者がきた。バイオディーゼルで試みられていることは、調理などに使った油などを再利用して、バイオディーゼル燃料に転換して、捨てるしかなかったものを再利用したりする考えだ。バイオディーゼルを試みているところは多く、市、大学や個人レベルでバイオディーゼルそのものは大して珍しくはない。しかし、山田周正、伊藤達也、村田さとりの3人のバイオディーゼルアドベンチャーチームは、クッキングオイルを回収するだけでなく、自らクルマに積載した製油システムを使い、車両を動かすということで画期的なことだ。バイオディーゼルの給油所はいくつかあるらしいが、それでも、製油所を抱えながら走っているようなものであり、廃油をもらうことさえ出来れば、それを再生しては知り続けることが出来るというトテツモナイ実験車両なのだ。今日は、大学の構内で、その仕組みの説明を受けて、彼らの行なっている世界一周と云う大構想は、ものすごいロマンに満ちたものであることが分かった。山田さんの話では、多くのヒトに不可能だろうと言われていたものを、また多くの善意あるヒトの協力を得て作り上げた、技術の粋を集めたものであることが理解できよう。
もちろん、このような廃油から燃料を再生していくのはとてもロハス的なことだ。ただ、私は、このデモのときに近くにいたアメリカ人と話しているときに、そのヒトは、室内空間の半分くらいが、製油設備やタンクのために使われ、ヒトの生活居住空間を最少限に抑えているのを見てびっくりしていた。アメリカだったら、UHaulてきな、牽引車両(trailer)を使うだろうとそのときに思った。日本人は、どちらかと云うと、まだゆとりを作るより、目標達成を優先するのだろうと思ったりした。旅は、アメリカの西海岸ではじまり、現在やっとコロラドだ。これから世界一周を達成するのには道のりは長い。この若者たちの大成功と武運をお祈りして止まない。
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