Monday, December 15, 2008

シンプル・ライフのトレンド

ギャンブルや華やかなショーなどで多くの観光客を引き寄せ、急成長していたラスベガスが昨年あたりから景気の落ち込みで苦労をしているらしい。ギャンブル好きには景気の状況がどうなろうとも関係ないかもしれないが、無駄の多い奢侈なライフスタイルは、ロハスの時代にはそぐわないのだろう。砂漠の中でのホテル前に打ち出される強烈な噴水群、大きなエネルギーを無駄遣いするネオンサインなどは、自然との調和を求めるのではなく、あたかも自然に挑戦しているような姿勢だ。私にとって、砂漠の中に建てられているホテル群は、ロハス経済の中では蜃気楼のような、幻想的な存在でしかないように見える。住宅バブル、投機的な市場や石油で大儲けをした中東の資産家などが、実体のない博打の経済で遊び狂っていたのだ。

豊かな生活をすると云うことは、もちろん悪ではない。しかし、その豊かさの定義がどのようなものかとなると、単なる物質的なモノの所有や贅沢尽しの財を利用するということになると問題が多い。自然との調和がないこと、あるいは精神的な健康とかけ離れていることも、人の本来の充足感を満たすものではないのではなかろうか。これまで多くの場合、豊かさの定義の中に精神的な、情緒的な豊かさが忘れ去られていたものが、復活してきていると言える。もちろん、ハイペースの中で仕事をしている人にとって、経済的な余裕がない限り、精神的や情緒的な余裕を求めることさえ難しいのかもしれない。しかし、アメリカにいるとそれを求める人々が徐々に増えてきている気がする。資本主義の牙城とも言われるアメリカが、変化していることが面白い。

私は個人的に長いこと合気道の指導をしてきているが、昔はセルフ・ディフェンス、つまり護身術のためということが多かったが、最近ではより精神的な充足感を求めて来る人が多い。ロハスのコンセプトをまとめたポール・レイ博士、シェリー・アンダーソン博士なども、彼らの名著The Cultural Creativesの中で、ヨガ関係のビデオの販売がディズニーのライオンキングのアニメのビデオ販売を凌駕したと書き記したのがもう8年以上も前だ。

ニューヨークタイムズ紙のSHIVANI VORA記者がまとめているところでは、シンプルライフを求めて、ヒンズー教的なアシュラムや仏教的な禅寺などで、週末やより長期にわたり瞑想や禅の修行に来る人が増えていると言う。しかも、その来る人々が、これまでだったら、何らかヒンズー教、仏教、禅などの信者などが中心だったものが、最近では一般の市民の参加者が増えてきているのだそうだ。

朝4時半に起床をしたり、他の参加者と口を交わすことなく黙々と落ち葉を掃き掃除したり、地産地消の有機野菜をふんだんに使った菜食主義の食事をしたり、都会の喧噪を離れ、現代社会のリズムを断ち切る生活をすることによって、精神的な豊かさを経験する人が多くなってきていることは嬉しい。毎日ストレスが多い中で生活をしていると、生きるプライオリティが何なのか見失うことも多くなることだろう。こうやって喧噪から離れる体験は、記事では現実からの逃避とも書いているが、私はストレスに対抗する抵抗力になる気がする。

この記事は、ニューヨークタイムズの記事なので、同地域に近いアシュラムや禅瞑想場のことを書いているが、この現状はアメリカ中に広がっていると言って良い。特にボールダーは、ナロッパ仏教大学がある街でもあり、チベット仏教の一大センターでもあるシャンバラセンターの所在地としても知られるので、特にこの街の人々の中で瞑想をする人は多い。

現代社会は、大量生産方式を打ち出してきたことから、過剰消費を奨励し、その中で多くの人は、疑問を持ち始めてきたと言える。複雑怪奇な生活も、便利になった側面は喜べるとしても、ストレスが増えたのも事実。だからこそシンプルライフも求められるようになるのはおかしなことではない。ボールダーのロハス的な生活が、一つの回答を出してくれている気がする。

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