70年代後半から80年代後半に至るまで、世界のメディアは日本経済の躍進ぶりを報道し、一部では「黄禍論」ともとれるような記事も多く出たりした。日本の大躍進は西洋の大国に対して脅威に映り、長いこと欧米から、特にアメリからバッシングを受けたのもこの時期だ。
最近の日本の欧米社会でのプレゼンスは、より地元経済の中に組み込まれた形で、自然に入り込んできている。日本が、生産国として「低賃金」や「ダンピング」をして輸出していたイメージは無くなり、脅威論は少ない。この変化が良いことなのかどうかは、簡単に判定できないが、いくつかの日本企業が見事に欧米で成功をしている事実を見るとまんざらでもないのだろう。
しかし、こと日本市場に目を向けてみると、食の安全を唱導しながら、日本の政府や役所、あるいは全農などは基本的に食糧の安全施策を打ち出すことなく、日本の農業もある意味では形骸化させるようなところまで行ってしまったにもかかわらず、何か食品の安全問題が発生すると、恐怖を煽るような形でメディアと一緒になって生産者や輸入者を叩いているのではなかろうか?そんな気がしてならない。もちろん、残留農薬や偽装を許せと言っているのではなく、より根本的なところでの政策が必要なのではなかろうか。
例えば、国土も小さく、自然保護の強いニュージランドの例のように、無闇にワシントンポストが使っているような尺度でない、ナチュラル経済の導入論争を国民と討論をして、新たな道を模索するべきではなかろうか。石油資源がほとんどない島国が、食糧政策を整えないまま、自活していく道はないのだろうか。日本は、宗教的にも歴史的に自然と共存する和合の精神を持つ国として存在してきたはずなのに、最近の政治家の議論を聞いていると、国民はないがしろにされている気がしてきてならない。
ボールダーロハスでは政治的なことは書きたくないのだけれども、エンクロジャーのリンクをクリックしていただくとワシントンポストの記事につながっているので、英語のできる人には是非読んでもらいたい。内容は日本の国力の衰退について述べたものだが、私としては、現在が日本のロハス推進する好機なのではないかと考えており、地方の過疎化、人口の老齢化、心の退廃、健康状態の悪化など日本が取り組める案件はかなり多い。それをネガティブと見るか、チャレンジと見るか、好機と見るかは我々の心次第であり、豊かな国土、安全な食、健全な身体と心を目指して大きく展開するときになったと思う。
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