世界の地球温暖化の原因を探っていくと先進工業国の経済活動が大きな原因となっていることは知られている。特にその中で、世界人口の5%前後しかないアメリカが、世界のエネルギー使用の25%にも及ぶことが知られれば知られるほど発展途上国は、自分の国の発展を抑制してまで地球温暖化の議論に乗らないように心がけてきたと言える。アメリカのライフスタイルは、無駄が多いことは知っていても、そのライフスタイルを求める世界的な基調はなくならないのだから、地球温暖化の議論はどうしても先進国のエゴにしか見えて来ない、あるいはある程度は地球温暖化の科学的な議論は分かるがそれでも発展したい自己矛盾などもあると云うのが、発展途上側の考えに違いない。
環境問題では至って先端的なボールダーの街にしても、近隣市をまじえた郡レベルで、新規住宅建設に関して建坪の制限をここ数ヶ月検討をしてきているが、カウンティーの政策はまだまとまったとは言えない。カウンティー側の視点としては、1家族が住む家の建坪として600平米を限界として、それ以上大きい住宅については、公共のオープンスペース購入のための税金を払うか、超省エネ住宅にするかなどを提案してきた。それに対する不動産業者や建設業者などは、年間に建設許可される件数がきわめて少ない新規大型住宅に課税や制限を設けるのは不公平であり、その他大勢の古い住宅のエネルギー効率を向上する方が、大きい意味での環境には良いと云う議論を展開している。双方の良い分は理解できるものの、ボールダー郊外では確かに800平米以上の家はいくつもあり、そのようなところの光熱費代を考えるとなぜそこまで大きい家を必要としているのか、それについては理解に苦しむことも多い。ボールダーでもそうなら、全米ではもっとひどいと云わざるを得ない。そのアメリカの無駄遣いの趨勢を多くの国々は見ているのだろう。
アメリカ人が所有するクルマにしても、まだ大型RVに依存している人が多いのにはびっくりする。中東依存を下げたいと言いながら、ライフスタイルの変更は、アメリカの権利として譲れないような姿勢をとる人も多い。もちろん、流れとしては省エネを目指さない訳ではないが、国家的な急務として取り上げていないのも事実であり、発展途上国から見たらアメリカの姿勢を疑うとしてもおかしなことではない。
発展途上国は、排ガス規制とか、その他の環境への配慮をするような余裕はないと云うところだろう。それぞれの国内政治でも、地球温暖化の問題よりも、より緊急度の高い問題が国民から上げられてくるだろうと云う意識は強い。しかも、ライフスタイルはアメリカの真似をしたいが、妬みとも言える反米感情があるのも事実だ。事実、アメリカは多大な農業補助金を国内の農業関係者に出しており、その政策のあおりで、各国の農産品がすんなりとアメリカに輸出できない貿易的な制約も存在しているのだ。ブラジルなどの砂糖や砂糖からできたエタノールの輸入を認めるのならまだしも、アメリカは、実質的には農業政策が、外交と重なるときにはブラジルにとってあまり面白くないことも多く発生しているのは事実だ。
そんな背景もあり、ブラジルのダ・シルバ大統領は、ことアメリカや先進国の地球温暖化抑制の話し合いに関しては、どうしても懐疑的だったし協力的でなかったのだ。経済的なナショナリズムが発生をすると云うのは当然のことだったかもしれない。この、ニューヨークタイムズ紙の記事は、ダ・シルバ大統領が、まだ懐疑的な姿勢を崩していないものの、地球温暖化による天候、気象現象の議論が遠い先の話だと思えなくなる事情がブラジルで既に発生してきていることを報道している。ブラジルではこれまで発生したことのない台風が起こったり、干ばつや異常気象が多く発生している模様だ。ダ・シルバ大統領は、アマゾンの乱開発について、欧米の有識者の指摘を無視してきた観があるが、ここへきて、自国の将来についてみ直し始めたと云うのが真実だろう。
各国のおかれている状況は、国内政治の状況を考えると一致団結してこの大きな地球温暖化の問題に取り組むような状況ではない。しかし、異常気象が、発生し始めるとなるとどうしても無視し得ない何か見えないモメンタムにつながっていることだけは間違いないだろう。地球温暖化だけでなく、地下水源の枯渇や表土流出による砂漠化の加速など、人間の奢りによる地球環境の変化は着実に見え始めている。発展途上国の発展する権利を認めてあげるような度量と先進国としては自国のライフスタイルの改善を行う勇気が必要なときに来たようだ。さて、日本の政治状況を見る限り、そのような地球的な問題を語るような土俵にはありそうもないようだ。日本の政治家に何処まで求めて良いものだろうか。100年の国家の計を語れるようなリーダーを求めてやまない。
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