Thursday, August 07, 2014

成長の限界、、、消費者の変化と悩むアメリカ

アメリカンドリームが直面したもう一つの大きな問題は、資源エネルギー、環境の観点からの消費市場、健康市場の変化と言わなければならない。つまり、アメリカのどん欲とも言えた資源の「浪費」にツケが回ってきたのだ。1972年の有識者のグループであるローマクラブが「成長の限界」と云う報告書を世に出した。この論文は地球環境と人類のシステムがどのように相互に働きかけ合うかを理論的に試算検証したものだった。ローマクラブの経済モデルは、1、世界人口増加率 2、工業化の発展度合い 3、環境公害 4、食料生産 そうして5、資源の枯渇度合いなどについて、相互連関性を計っていくものだった。しかし、このような警告書が出たところで、アメリカンドリームを推進する産業構造は、いったん出来上がると、そう簡単には方向転換できない。巨大タンカーのごとく、舵取りをしても、変化がかなり先にしか出てこないのだった。

「成長の限界」が出された翌年の1973年に世界的な経済後退の原因ともなる第一次オイルショックが発生。石油生産国が、そもそも、自分たちが産出している石油があまりにも安く売られていることに嫌気をさして、供給を抑え、価格上昇へ立ち上がった。その後1979年に第二次オイルショックが発生するなど、生産国側の動きは、否が応でも石油の需給の原理を用いて価格引き上げが行なわれるようになった。石油をはじめとしたエネルギー資源価格は現在も引き続き上昇しているが、その高エネルギーコストにもかかわらず、アメリカ政府は市場の力に任せるなど積極的な省エネ政策には至っていない(ただし、州レベルや市のレベルでは省エネ政策を推進しているところも増えている)。
一つの事例は、クルマの燃費に関するアメリカ連邦政府の姿勢だ。特に1980年にレーガン大統領が選出され、その後、石油産業の関連が深い、ブッシュ親子の大統領の期間が相当長くあったこと、共和党政権が政権の座に占めていた期間が長かったことから企業寄りの姿勢が多く打ち出されていたことも問題をさらに複雑化させている。アメリカの基幹産業として長らく君臨してきた自動車産業が衰退していたことに対して、大型車への依存が高いビッグスリーの商品構成、特にアメリカで言うところのトラックまたは多目的車—SUV(日本ではRV車)への燃費規制を強化しないできた経緯もある。しかし、皮肉なことに政府が省エネ政策を打ち出さなくとも、あるいはアメリカの自動車メーカーが積極的に燃費の良いクルマを出さなかったために、消費者は燃費効率の良い日本ブランドの車両へと徐々にシフトしてきたので、いつの間にかアメリカ市場における輸入ブランドの市場構成は過半数を超えるようになってしまった。
もちろんアメリカの自動車大手3社は、燃費の良いクルマも出している。しかし、問題なのは、それら燃費効率の良いクルマを出しても、マーケティングに対する後押しが利益率の高いクルマに偏重をしていたことが、間接的には販売に悪影響を与えたのだろう。日本車メーカーが、従来の低燃費車に加え、プリウス、シビックなどのハイブリッド車を出していったことも、エコメーカーとしての日本車の地位を引き上げたと言える。最近では日産のリーフ電気自動車やトヨタも燃料電池のクルマを導入すると発表している。アメリカはハイウェーで廻らされた自動車大国だ。ビッグスリーが長いこと君臨してきたその自動車大国でロハス的な商品を提供した日本のメーカーの人気が一般的に高いのはそのためだ。アメリカンドリームをよりグリーンなものにしていく社会的な運動は、消費者が自らの財布を使い、経済産業を動かし始めたと云うことで注目して良い。
クルマほどではないが、やはりアメリカ農業大国において、農業と云う面で影響力を持った日本人がいる。私が住んでいるボールダーコロラドの有機農場のことを取材していたときに、その農家の主が有機農法を目指したのは、ある日本人の影響によるものだと云うことを知らされてびっくりした。ボールダー近隣の農家には絶大な影響力を与えた人として紹介されたのは、愛媛県の福岡正信氏だった(1913年2月生まれ)。英訳された代表的著作の「自然農法・わら一本の革命」は、絶版になっているが、それでもウェブでは数多く紹介されているだけでなく、篤志家のおかげでそれを無料ダウンロードできるようにまでなっている。
先に書いたように、アメリカではロハスと云うコトバの認知は低い。しかし、ロハスの方向へ行っていないかと云えば、そうでは無い。きちんと勢いが出つつあるのだ。まだまだ、アメリカンドリームを夢見る人たちがいる中で、現実と期待値には大きなギャップもあるが、私はアメリカの方向転換に大いに勇気づけられている。まだ、紆余曲折もあろうが、方向が正しいことを祈っている。

世界的に見るとアメリカの相対的な経済力の地位は着実に下がっている。しかしそれが問題だとは思わない。そもそも経済力とは何かを考えていくときに、経済力が環境を破壊するような企業を多く抱えることであったり、国民が高度のストレスを抱えていたり、不健康な農業生産を行なっていたりするのであれば、そのような「経済力」は不健全だ。不要な消費を促し、廃棄物を多く垂れ流し、地球環境を悪化させるような経済の仕組みからの変換脱却が急務と云えよう。人間に幸せを測る尺度は、多くの実験を経て変わらざるを得ない。実質的生活レベルを後退させること無く、地球と共生をして、自らの健康を守り、どのように生きていくか、探るべき時が来た。そうなるとライフスタイルは変わらざるを得ない。アメリカンドリームの要素の根幹は変わっていくことだろう。多くの先陣の努力によってロハスのムーブメントは始まったところだ。

健康は最終目的ではなく人生を楽しむための手段だ、、、

今年の春からGQ Japanでブログを掲出するようになった。そちらではよりタイムリーな原稿を出し、Boulder Lohasでは、少し掘り下げた内容にしようと考えている。よろしかったら記事を読んでみてください。




このブログでは、筋トレやキックボクシングなどのトレーナーをしている人を取材したのだが、トレーニングの目的は健康になるということではなく、更に自分のスポーツ能力を高め、多くのスポーツを長く楽しむためであると極言されてしまった。そのなかでも「日々、正しい選択することで、自分の能力を高めるものとなる」とまで言われた。つまり、トレーナーのリサ マンダルさんにとって、健康は当たり前、しっかり自己管理さえしていれば健康でいられるということになるのだ。

新約聖書のコリント人への手紙の中に「 Your body is your temple」という文言があります。つまり「あなたの身体は聖霊の住む神殿」の表現を借りれば、身体を鍛え、大事にしなさいということなのだろう。フィットネスについて考えさせられたインタビューだった。

Monday, July 21, 2014

ベトナム反戦を契機に変化するアメリカ

アメリカでの社会的成功の尺度は、より大きな家、より大きなクルマ、そうして何よりも事業的な成功がモノを言った時代が長く続いた。私が70代の大学生時代に読みふけった大衆小説家のハロルド・ロビンズの多くの小説に共通しているテーマはビジネス・サクセス物語だった。私も英語的な表現で、Nothing succeeds more than successと云うコトバを習った。 成功することが最も素晴らしいと言ったところだろうか。その成功の尺度はカネであり、物質的なものを追い求めるアメリカンドリームだったのだ。
しかし、その夢物語も、60年代に入り、アメリカがソ連をはじめとした社会主義陣営との闘争の一環としてベトナムに参戦することによって、カーソン女史の環境問題以上に大きく社会へのインパクを与え始めていく。第二次世界大戦では物量作戦と科学によって大勝したアメリカではあったが、50年代初期の朝鮮動乱は東西冷戦と云う構図の中での一時的な不覚としても、東西冷戦構造が深まる60年代のベトナム参戦は、アメリカの若者の心に政府、権力や大企業への不信感を生ませることになる。徴兵制がしかれていた時代であったので、くじ運が悪い若者たちがベトナムに行くことになった。最初は社会主義陣営の拡大を阻むと云うアメリカの若者にとって正義の戦いだったものが、戦死傷者が続出するようになり、不毛な戦いに厭戦気分が強まっていった。
ここで不思議な現象が始まる。60年代後半からアメリカのリベラル的なUCバークレー大学やオハイオ州のケント州立大学などで反戦運動が起こり始め、鎮圧に走った当局との間で大きな衝突が繰り返されるようになる。アメリカンドリームを満喫していた若者たちは、社会的な緊張感の中で従来の価値観に共鳴をしなくなってくる人が増えた。この本ではロハスの源流を探っているので社会学的な解釈をするつもりは無いが、反体制的、あるいは反権力、反大企業の風土が出てきたことに留めておこう。特に大企業に不信感を抱き始めた若者たちの中でコミューンを形成する方向へ走ったり、ヒッピー運動を始めたり、反体制になったり、アメリカンドリームの成功法則に外れた人々が出たことに注目したい。後でもっと詳しく述べるが、マックドナルドなどのような事業とはかなり違ったナチュラル・ビジネスがこのような反体制の若者から創出されることになる。この人たちは、従来のアメリカ型成功方式を受け入れずに、自然との共生を求める動きに集約していくのだ。
私の住んでいるボールダーなどでその後、事業的に成功した人たちの中で有名になったのはハーブティーのアメリカ最大のメーカーになったセレッシャルシーズニングス社のモー・シーグル氏や豆腐王(豆乳も含む)になったスティーブ・ディモス氏などがいる。彼らはまさにヒッピーのような生活をして、アメリカ的事業精神に当てはまらず、新たなナチュラル・ビジネスを形成したパイオニアだ。もちろん、その当時は、彼らとて異端者の時代であり、境遇は苦しく、今の億万長者ぶりの生活からほど遠い生活を送っていたが、彼らが新たな方向に歩んだのは、ベトナム戦争と云う転換のきっかけがあったからに他ならない。

また、このようなベトナム戦争がきっかけと云う事態と同時に忘れてはならないのは、キリスト教の文化の中に、東洋思想が芽生えるきっかけも出ていたことを述べなければならない。元々キリスト教が成功法則を求めて、ビジネスに邁進していたと云うつもりは無い。しかし、キリスト教文化に代表されるのは、その当時は保守的な、体制側的宗教だったことには違いない。そんなことから反体制青年が抱えているいろいろな悩みの回答を引き出してくれる宗教に思えなかったことも事実だろう。当時のポップスターだったビートルズが、インドの瞑想を行なうなど、ヨギーたちに傾倒をしていったことで、彼らをアイドル視する若者たちも東洋的な思想にはまり込んでいった。
東洋の精神的な思想は、殺生を忌み嫌い、多くのアメリカの若者が菜食主義者になるきっかけも作った。前に紹介したディモス氏などが菜食主義者なのはこのような背景によるものだ。また、だからこそ、豆腐王などになる資格があるのだ。まさにマックドナルドのハンバーガー文化と全く相容れない思想が60年代の後半から強くなっていく。ナチュラル・フードのビジネスは極論をすれば東洋思想のインプットが無ければ成立しなかった面もあるし、出来たとしてもかなり違った性質のものになっていただろう。東洋の神秘性が求められていったのは、間接的なことかも知れないが、ベトナム参戦によってアメリカドリームがすべての人々の心に受け入れられなくなったことを示すと云える。
さらに、面白い現象としては、保守的なアメリカの価値観を先鋭的に主張するキリスト教原理主義の政治勢力も強まった反面、60年代や70年代の社会的混乱の中から対抗勢力としてのアジアの新たな文化的価値観、あるいは宗教的な考えもアメリカの主流とまではいかなくともロハスの源流として入っていったと思う。アメリカに70年代から、出たり入ったりを繰り返してきた私にとっても、アメリカの国民的な多文化を受け入れる精神風土は相当変わってきたのを常々感じてきた。その中でもアジアの文化が多方面から静かにアメリカ人に受け入れられるようになった訳だが、ミート・アンド・ポテトの食文化に中に寿司などのかなり異色な食事が流行ったり、禅、ヨガや霊気と云ったキリスト教文化が異端視したような文化も入ったりした。私は70年代からアメリカで合気道の指導を行なってきたが、そのすそ野の広がり方、一般的な理解の深さは日本人が想像する以上のところに来ている。アメリカン・ウェー・オブ・ライフが根本から変わったと云うのでは無いが、和を尊ぶ合気道が好まれるとか、太極拳など西洋思想から絶対発生しなかったようなものまでもが自然に受け入れられるようになっている。異端視されないようになったことが、文化の多様化を示すものと言えるだろう。



ロハスの思想が、アメリカだけの土着の思想では無く、東洋の思想と結びついていることが面白い。西洋の資本主義思想が、壁に突き当たり、そこで競争的な原理から、より和合の精神へと変わっていくことに、大きな変化を見出すことが出来る。私は80年代の初期に当時世界最大の自動車メーカーだったゼネラルモーターズ社に在籍していたときに、トヨタ自動車やスズキ自動車などと合弁交渉に携わったが、まさに巨大企業のゼネラルモーターズでさえ、アメリカンドリームの変化を感じ取り始めていたと言えまいか?アメリカのビジネス、商品モデルなどが消費者に受け入れられなくなっていた時代だ。

Friday, July 11, 2014

ロハスの源流を遡る(2)

当時のアメリカ人は、当然見えない社会問題を内包していた時だが、外向きにはきらびやかな姿が大いに映し出されていた時で、多くの中産階級のアメリカ人もアメリカの戦争での勝利は、科学力と産業力の勝利と考えていたと言える。軍事産業の要だった、毒ガス開発や武器用火薬の産業なども平和産業に移管し始め、除草剤、殺虫剤や化学肥料の平和産業に業態転換をして、戦後の経済発展の大きなシェアを大いに享受していた。
農業の機械化は19世紀から始まっていたが、第二次世界大戦終了を機に農業従事者も急激に減少し始め、農家の数が減少する中で、より集約的な大規模農法が盛んになった。殺虫剤、除草剤の空中散布や化学的肥料などの活用も高まり、アメリカの農業生産性も飛躍的に伸びた。集約をすること、生産性を上げることが善とされ、軍需産業の平和利用転換がうまく行き、これを疑う人はアメリカンドリームを否定するかのように見られていた時期だ。
しかし、順調なアメリカンドリームの推移のようであったが、徐々にアメリカ国内の見識のある人の中に、アメリカ経済の変化について疑問を呈する人々が徐々に出てくる。ここでは、すべての人々や事象を網羅することはしないが、代表的な事例などをいくつか取り上げていきたい。
そのひとりに、環境問題を未だかってない情熱で啓蒙活動をした人がいる。もともと海洋学者で、アメリカ連邦政府の漁業局で科学者として、そうして編集者として活躍したレイチェール・カーソンだ。彼女は公務の時の執筆はもとより、公務の研究成果をもとに私人としても博物学、自然科学に関する多くの啓蒙書を執筆した。高まる自然への愛情をより多く、深く表現するべく、カーソンは1952年に公務を辞め、執筆活動に専念し始める。

カーソン女史は、私たちが生きている自然界の不思議さと美を広めようと云うことで多くの著作を著した。カーソン女史の視点とは、人間がこの不思議であり美しい環境と一体であることを念頭においていたものだが、一方では人間の行動が、その自然界のバランスを崩すことが出来るネガティブな力を持ち合わせ持っていることにも大きな警戒感があった。しかも、人間の軽率な行動によって破壊された自然が修復・再生されないかも知れないと云う懸念を強く持ち始めていた。
アメリカンドリームでこの世の春を享受していたアメリカだが、カーソン女史の春は別物だった。博物学者として自然に近いところから接していたカーソンは、農業機械化の進展や殺虫剤やその他の薬剤が空中散布されることにより、多種多様な鳥が姿を無くしていくことに気がつく。もちろん、鳥たちの食べ物になる虫が居なくなることもそうだったが、殺虫剤を振りかけられた小鳥たちも大きな被害を受けたのであり、そのような状況を目にしたカーソン女史は、1962年に「沈黙の春」と云う本を著す。もちろん、「沈黙の春」と云う原題の意味するところは、鳥が少なくなって、春になっても鳥のさえずりが聞こえなくなったことへの抗議声明文だったとも言えるだろう。博物学者だった同女史の活動は、次第に農業化学者、化学品業界や政府への痛烈な批判に変わっていく。自然界をもてあそび、化学薬品でバランスを崩している人々との対立的な姿勢が強くなってしまったのは言うまでもない。
当然化学薬品業界はこぞってカーソン女史を批判した。政府関係者も彼女があまりにも人騒がせの性質であると見解に立ったが、彼女は勇気を振り絞り1963年にアメリカ議会の公聴会で自然環境と人間を守るように具体的な事例を多く挙げ証言した。そのカーソン女史は訪れようとしている死期を予期しての活動だったのだろうか。翌1964年に乳ガンとの闘病生活にやぶれ、彼女は亡くなった。カーソン女史が打ち放った警鐘は、多くの見識ある人々の心をとらえ、環境運動の一つの大きな柱になった。

しかし、実際カーソン女史の警鐘にも関わらず、その意見は主流のアメリカが取り上げるようなところまで行かなかった。アメリカの国土は広く、資源も豊富にあり、人々は勢いがついていた経済成長を引き続きサポートした。カーソン女史の発言は、もちろん環境派のバイブルのようになるが、物質的な豊かさを享受し始めた大方の国民の願望は、女史の心配をよそに物質主義まっしぐらの傾向を示した。2008年、アメリカはもとより、日本でも彼女の生誕100年行事を多くの人が祝ったことは、彼女の行なった活動が無駄になるどころか、現代のロハスに直結していることを物語るものである。

Wednesday, June 25, 2014

ロハスの源流を遡る (その1)


時計の針を60年ほど前に戻すことが出来るのであれば、恐らくその当時の世の中の主流は、現代的なロハス的な発想を時代に逆行するネガティブな運動として看做したことだろう。当時のアメリカは戦後の経済ブーム、物質的なブームを享受していた時だったからで、それに疑問を呈する人は至って少なかったからだ。
第二次大戦が終わり、多くの海外戦線にいた軍人がアメリカに戻ってから大いにアメリカの経済は沸いた。戦後間もなくベビブームが起こり、50年代に至っても、東西緊張はあったが、経済は急速に上昇気流の中にあった。1957年はソビエト連邦のユリ・ガガーリン宇宙飛行士が宇宙船スプートニックで初の大気圏外での宇宙飛行に対抗して、アメリカも次々に宇宙衛星を打ち上げていた。翌年の1958年は英米間を当時の航空会社BOAC社がジェット機で運行した最初の年となった時代だ。また1956年には、ドワイト・アイゼンハワー大統領が、自動車メーカーの強いサポートを得て、インターステート・ハイウェーを全米に廻らす法案に署名したことによって、ハイウェー建設が本格的に始まったのもこのころだ。50年代は、アメリカの住宅建設も急激に伸び、好景気、有利な税制、戦後勢いがついた住宅建設業界、住宅融資が簡便になったことなどでアメリカの住宅の所有率が国民の6割を超えたのもこの時代だった。
アメリカ自動車産業は当時華やかな時代を迎えた訳だが、ハイウェーや道路交通網の発達で、都市から溢れ出た人々が郊外に庭付きの住宅をこぞって買い求めアメリカンドリームが生まれた 。所得の増大と安いガソリンの存在で、クルマなどもどんどん大きくなり始めていた。絨毯のように手入れされた青緑の芝生と白い柵がある庭で、大きなオートマのクルマの運転をしている家庭は、当時の日本では羨望の的だったことを記憶しているヒトも多いだろう。知っていなくとも映画でこのような姿を見たことのあるヒトも多いはずだ。テレビ番組でアメリカの家庭の紹介が全世界に行き渡ったのもこの頃だった。50年代の半ばと云うと、イギリスのビートルズに先立ち、アメリカで全盛を迎えていたのはエルビス・プレスリーだった。当時のめっぽう明るい時代を代表する歌手と映画俳優の出現だ。


クルマをベースにした郊外型のコミュニティの形成でドライブイン映画シアターやドライブスルーのファーストフードやいろいろなサービスも出始め、経済はさらに華やかに発展していた。大型冷蔵庫や、大きなオーブンなどの普及により、冷凍食品や簡便な加工食品が徐々に定着し始めた。クルマの普及などにも関わるが、郊外型の駐車スペースがたっぷりとられているショッピングモールやスーパーマーケットが出現をして、アメリカの郊外で展開されるライフスタイルは、戦前のものとは打って変わるような勢いで変化を始めた。巨大スーパーの出現は、価格競争とか流通販売効率をこれまで以上の、大型スケールで導入し始める結果となり、まだ、本格的にコンピューターの導入は無かったもののコストパーフォマンスが高まり始めていた。この結果、中小のリテーラーが大型店を立ち向かうと云うパターンが出来始め、大型スーパー同士での競争の激化に伴い個人経営などは経営効率が悪いと云うことでどんどん淘汰されはじめていた。
郊外移行による広大な土地、安いエネルギーコストなどによってスケールメリット(規模の経済)を追い求めるアメリカ産業の勢いは止まるところを知らなかった。レストランなども郊外型のフランチャイズ事業が増え始めたのもこの頃で、地域ごとを越えた全米チェーンの出現で、加工やディストリビューションセンターがどんどん発展普及した。このような発展などで味覚が規格化されはじめ、どこで食べても同じような安定的な味やサービスが提供されるようになる。勘ぐってみれば、ヨーロッパやアジア戦線で経験を積んだ米軍の効率を念頭に置いた食事や補給システムが郊外型の新市場であるコミュニティに降りて来た感もある。
ファーストフードの代表格であるマックドナルドは、ディックとマック・マクドナルド兄弟によって1937年に軽食スタンドとして始められたものだが、その中でもハンバーグが一番人気だと分かると1948年頃ハンバーグを早く安く出すようなサービスを展開し始めていた。最初はハンバーグ、ミルクシェーキ、フレンチフライに集中して、注文があってから競争相手よりもすぐに出すサービスするようにして約半額の値段で売って成功をした。ミルクシェーキ・ミキサー機のセールスマンであったレイ・クロックが1954年にフランチャイズ権をとり、拡大発展をさせていく。マックドナルド・システムの成功に当時触発された企業は多く、アメリカのファーストフードが定着を始め、業界の一つの基準となった。つまり「ファーストフード」が全米を席巻するきっかけを作ったのだ。


マックドナルドの発展の基盤を作ったのはレイ・クロックだが、マックドナルド兄弟がシェーキミキサーを8台使い客への食事のスピーディ・サービスを提供していたのを見て感動をした一人だ。レイ・クロックは、マクドナルド兄弟のような大量にミキサーを使う顧客を多く持つことでシェーキミキサーをいっぱい売ろうと企んだらしい。しかし、ミキサーを売る人がハンバーガーのフランチャイズ権をとり、マクドナルドの発展に寄与したことは歴史のいたずらだ。このシェーキにまつわるスピーディ・サービスがファーストフードのキーワードだったのを知っている人はアメリカでも少ない。

Monday, June 23, 2014

ロハスの広まり

ロハスと云うことばが世に広まり始めてからまだ15年も経過していない。しかも、そのわずか数年の間に、 日本国民の7割以上がロハスと云うコトバを認知するレベルに至っていると云う調査もある。驚くべきことだ。正式な定義などを理解していなくとも、ロハスが自己健康管理や地球環境、精神的な癒しなどが含まれていることがこうも早く日本で認知されるようになったのはどのような理由からなのだろうか?もちろん、媒体、あるいは一部の広告代理店、商魂逞しい企業あるいはトレンド・ウォッチャーなどが、いち早くロハスを取り上げて、その普及に邁進した背景もあると思うが、それだけでこのコンセプトがこのように早く広まったとは考えにくい。早く広まった背景には、それを受け入れる土壌が出来ていたと見るべきだろう。


一つの考えは、国民の潜在意識の中に、社会のテンポが急激に加速度化していることで、その急速な変化に対応する心のゆとりが少なくなり、個人的や地球的な規模でそれを軌道修正しようとする精神が働いて、この何となくやさしい響きのコンセプトを受け入れているのかも知れない。スピーディー過ぎる社会変革への反動としてスローに戻りたいと云う気持ちの現れだったとも考えられる。
もう一つは、人間の生活の豊かさに大いに貢献してきた科学の進歩が、崩れ始めている自然界の均衡を必ずしも防ぎきれていないと云う焦燥感から発生している面もあると思う。科学は、生産性を高め、人間の物質的な豊かさを大いにもたらしたのは確かだが、科学者は、自分の技術分野には目を向けることはあっても、統合的な視点が欠けてしまうことも時によってはあるからだ。科学の発展は多くの場合、懸案となっている問題解決はできたとしても、それによって逆に自然界の微妙なバランスを予期しない方向で崩れさせることがあるからである。もちろん、ここでは科学の発展をけなすつもりは無い。純真な意図で作られたものが、政治やビジネスの世界などで悪用された事例があまりにも多いからだ。良心的な科学者の悩みはそこにあるだろう。
いずれにしても、これから見ていくように、ロハスと云う概念は、突然に現れたコンセプトではなく、また、経済思想でも哲学的な概念でもないことだけは言える。カルチュラル・クリエーティブ(文化的な創造者たち)あるいはロハスと云う言葉を作り上げたのはポール・レイ博士とシェリー・アンダーソン博士の二人が、「社会学的」統計手法で、アメリカの消費市場全般を研究した上で、消費市場のクラスターやトレンドを健康や地球環境保全に関わるような消費行動カテゴリーとして拾い出し、彼らの手法でいわゆる「カルチュラル・クリエーティブ」「ロハス」市場規模を推測したものなのである。

アメリカに目を向けるとこのロハスと云う概念を知っている人は、ナチュラル産業に携わっているごく一部の人しか知らないと見るべきだろう。だから、日本人がアメリカ人に対して「ロハス」「ロハス」と言うときに彼らも少し認識のギャップを感じるに違いない。しかし、アメリカ人がロハスと云うコトバを知らずとも、アメリカがロハスを実践していないと云う意味ではない。アメリカでは、ロハスと云うコトバのくくりは無くとも、「グリーン」や「サステイナブル」あるいは多くあるその他の表現で、ロハスに内含されるような意識をすでに持ってきているからだ。
ロハスはトレンドや一時的な流行ではなく、着実にメインストリーム、つまり主流の時代思想になりつつある。これまで、グリーンやサステイナブル、あるいはリサイクル、代替エネルギー、補完(代替)医療などといった考えはどうしても知識人リベラル派の夢物語だったものが、今では実行しなければならない正当な考えとして受け入れられるようになっている。この変化の持っているインパクトは大きい。
ロハスはもはや表層的な変化ではなく、産業革命以来一途に邁進してきた産業の発展が大きな岐路にさしかかっていることを意味している。見方によれば、石炭、石油と云う炭素系エネルギーの時代が曲がり角に来ていることでもある。アメリカでは、いわゆる「ポスト・カーボン・ソサイエティ」と評されるものだ。だから、健康やサステイナビリティを超えたところの変化にもつながつがる。
こうなると、ライフスタイルを維持するのではなく、新たな時代の現実に適うライフスタイルの模索が始まっているといって良い。発展に対する願望は、当然発展途上国の中では未だに強く、ロ
ハスの潮流変化の中でも、新時代への抵抗を持つところも多い。世界の人々の生活水準を上げなければいけないと云う課題の中で、時代の変化に対応するためにも苦痛を多く伴うことも出てこよう。しかし、すでにいろいろな警鐘は鳴らされている。もうLOHAS 4.0は待ったなしの時代だ。

Friday, June 20, 2014

ロハスは続いていくのか?

蝶の一生を大まかに分けると、卵(たまご)、幼虫(ようちゅう)、蛹(さなぎ)、成虫(せいちゅう)の4ステージがあるわけだが、ロハスもまさに、このステージごとの変態(メタモルフォシス)を経て成長していると見ることはできる。しかし、飽きっぽい日本人は、ロハスという言葉、あるいは概念がすでに大方定着したので、次のトレンドは何かとよく聞いてくる。いやいや、ロハスは終焉をしたのではなく、これから「本格的」に稼働を始めると考えなければいけない。

近視眼的に見ると、あるいはロハスは一つの流行だったと言えるかもしれない。それは多くの人がロハスを商機としてとらえたからに他ならないが、何でもロハス、ロハスになり、ガンガンと言われ続けるとロハス疲労を来している人も多くなったのだろう。しかし、ロハスが唱えてきた、持続可能な経済、健康的なライフスタイル、代替医療、自己啓発、エコなライフスタイルといった5本柱は、衰えるどころか、ますます広まり、定着化していくのは間違いない。今後はそのカテゴリーは、バラバラのものではなくより統合化されたものに変貌を遂げていくだろう。統合化される過程でこの五つのカテゴリーは次世代のパズルを解くキーワードになるのだ。

まさにロハスという言葉自体、80年代の初めから半ばにパーソナルコンピューター(PC)が出現し、マイクロソフト社が、ワード、エクセル、パワーポイントなどの統合ソフトを出し「マイクロソフト・オフィス」と命名したのに似ている。ロハスもすでにあった事象を、後述の社会学者がまとめた研究だった訳であり、五つの社会的潮流をロハスと命名した訳なのだ。それまで別々だったものが統合化されてくると、カテゴリーは集束し始め垣根はなくなっていく。

今の若者はPCの変態(メタモルフォシス)であるスマホのない生活は考えられないが、ロハスが唱えてきた5本柱は、すでにより統合的なムーブメントに変化をし始めている。ロハスという言葉が残るかどうか何とも言えないが、ロハスの定義で含まれた5本柱は、蝶のようにメタモルフォシスを経ながら、成虫となり羽ばたいていくことになるだろう。

このブログでは、そのメタモルフォシスがどのような形で進んでいるのか、今後予想される姿がどのようになるのか、ボールダーの街から見てマクロやミクロの視点から検証していってみたい。まずは、ロハスは蝶の一生のように卵(たまご)、幼虫(ようちゅう)、蛹(さなぎ)、成虫(せいちゅう)の4ステージがあると最初に書いたが、それについても少し述べてみたい。これは全くの自説なので、区分で異説が出てくるかもしれないが、最初は個別の案件だったものが、徐々に集約していっている経過を示すためのものなので、ご理解いただきたい。


卵(たまご)期 レイチェール・カーソンの「沈黙の春」、ローマクラブの「成長の限界」などの著作が現れた時期 (1950年代終わりから70年代初め)

幼虫(ようちゅう)期 自動車排ガス規制などが始まる70年代半ばから気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書が討議された90年代の後半まで

蛹(さなぎ)期 ナチュラルスーパーのホールフーズなどが出現し始める80年代後半から(一部重複)Natural Expo WestやBiofachなどの有機商品の世界的な展示会が始まる00年代半ばまで。この時期の後半にロハス・コンセプトに関わる著作「文化的な創造者たち」現れる。

成虫(せいちゅう)期 アル・ゴア米国副大統領が「不都合な真実」を著す06年前後以降。ハリケーン・カトリーナやハリケーン・サンディー、あるいは東北大震災の福島第一原発事故の時期とも重なる。

これから書いていくブログでは、必ずしもロハスを前面に出さないかもしれないが、ロハスの核となっている五つのカテゴリーについては、それがどのような形で変貌しようとしているのかマクロやミクロの点で書いてみるつもりだ。その前に、ロハス広まりの経緯やより歴史的なところに足を踏み入れてみることにしよう。

LOHAS 4.0

LOHAS 4.0

企業戦士の生活からロハスの聖地と言われるボールダーに住むようになってから、17年が過ぎた。その間に世界を騒がす大きなできごとがいくつもあった。2001年の9.11テロ事件、イラクアフガン戦争、2008年のリーマン・ショックと29年の世界恐慌を彷彿させつようなアメリカの大規模な景気後退、ニューオーリンズを襲ったハリケーンカテリーナ、東北大震災と福島原発、巨大人口の中国の爆発的な消費社会化とアジア、中近東における新たな政治・軍事的な緊張関係などである。



一方で、これらのできごとと並行して、静かにロハス革命が進行していたといえる。世界は確実に変化しはじめているが、その変化速度は速いにもかかわらず、ニュース性がより高いこれら世界的なできごとの雑音にかき消され、ロハスの進化を促す新たな動きを自覚できている人は少なかったのではなかろうか?既存の経済秩序の中で存在する企業や経営者、あるいは行政を司る官僚機構なども変化の先取りをしている人はまだ少ない。まるで、産業革命夜明け前のラッダイト(機械打ち壊し)運動のように、進歩を妨害し、時代の変化を察知できなかった19世紀時代の人と変わりない。ぬるま湯に浸かったカエルのように、温度が次第に上がっていっても鍋から飛び出さない現象に似ていると思う。

現在と産業革命前夜との大きな違いは、当時の産業変革は、環境に致命的な被害を与えるほどの環境破壊でなかったものなのだが、現在の地球環境は、方向転換をしなければ取り返しのつかない危険水域に到達してきていることだろう。多くの環境学者は、ことの重大性を認めつつも、政治的なコンセンサスが取れないままで流浪してしまっている、まさに迷える宇宙船地球号なのだ。

今月から日本のGQ Japanのウェブ版でブログを掲載することになった。GQ Japanでは、LOHAS 4.0にかかわるトレンドの話題を取り上げ、個人ブログではより深く突っ込んだ話題を展開していくつもりだ。読者の皆さんと意見を交換しながら、ロハスの展開をフォローしていければと思う。

Tuesday, June 17, 2014

スポーツマンのマナー

ブラジルで開催されているワールドカップでの日本人応援団の行儀の良さが評判になっている。だいたい、ゲームが終了して競技場を清掃してかえる応援団は世界中のどこを見てもいないからだが、日本政府が日本人のイメージを改善しようとしていくら金を賭けてもできないことをグラスルーツの活動でできたのもすばらしいことだ。スポーツ観戦だけでなく、これが、環境を改善の運動に繋がっていってくれることを願うばかりだが、日本では渋谷区や港区の区議会議員の人たちの間でGreen Bird運動を行っている訳だし、さらに広まってくれることを願っている。やはりきれいな街は気持ちが良い。

何かスポーツを行うと、自分の権利主張を前面に押し出す人が多い。パブリックな場面でも周りの人がスポーツを理解応援するの当然という主張だ。自分たちがどのような迷惑をかけているかについては意識もなく、自己中心的な動きをする人たちだ。個人的な意見だとサイクリストにこの傾向が強い気がする。公道を使うことからそうなる訳だが、もちろん、すべての人がそうだと言っているのではなく、一部だが、クルマとサイクリストの間の緊張感を高めている。

そういう緊張感は、ネガティブなエネルギーと考えるべきだろう。昨日、玄関先にアイアンマンの主催者たちからクッキーのプレゼントがあった。我が家は、アイアンマンのイベントが使う道路の一部と重なるので、沿線の住人のためにプレゼントを配ってきた。しかも、買ってきたものを配ったのではなく、自分たちがクッキーを焼いて配ってくれている。夏中、お宅近くの公道を走るので、ご迷惑をおかけしますが、われわれの周りを気をつけてドライブをしてくれてありがとうという趣旨だ。

ボールダーがスポーツのメッカであり、それなりの品位があるのは、このようなスポーツマンの姿勢によるものだろう。サポートをしてあげたい気がする。



Friday, June 06, 2014

In God We Trust (我らは神を信じる)ー信仰での複合化の動き

最後のブログを掲出してからかれこれ3年が過ぎた。その間に多くの方から、ロハスはどうなったのか、もう終焉したのか、これから何がライフスタイルのトレンドになるのかなどと問い合わせなどを受けてきた。ボールダーはライフスタイル・トレンド発祥の震源地の一つなので、これまで長く月刊誌ソトコトや当ブログで連載をしていたので聞かれても当然のことだったと思う。書く内容がなくなったのではなく、少し充電をしていただけなので、再び書くきっかけを探していたに過ぎない。

そんな中で、たまたま先月日本のある雑誌社のウェブ編集長がボールダーを訪れ、天皇陛下や橋本前総理大臣が食事をされたボールダーの高台にあるフラッグスタッフ・ハウスという高級レストランで会食する機会を得た。帰国された編集長からメールをもらい、同誌にブログを書かないかということだったので、メールのやり取りを行い、引き受けることにした。同誌のウェブとこのサイトで平行して掲載することにした。新規ブログについては、ロハスの源流から始まり、今後のロハスに触れていきたい。

今日のブログは単発的なものとして掲出する。私は特定の宗教の信者ではないが、政教分離と言っても、アメリカでは通貨(紙幣とコイン)にIn God We Trust (我は神を信じる)と印刷あるいは刻み込まれているし、大統領や政治家の重要なスピーチのまとめには必ずと言っていいほどGlod Bless America(アメリカに神の御加護がありますように)で締めくくる。

ワシントンポスト紙のReid Wilson記者が、6月4日付けで書いた記事によると、アメリカの宗教別の人口は、キリスト教徒が人口全体の4分の3以上になるという。そうしてその内で半分以上がプロテスタント派に所属し、23%がカソリック、モルモンは2%という数字が出ている。

アメリカはキリスト教が主流であること自体さしてニュースにならないだろうが、10年毎の国勢調査で、キリスト教に次ぐ、州別、郡別宗教信者はどのようなものであるのかまとめたチャートによると相当驚く数値が出てくる。アメリカの西部地帯は、キリスト教徒に次いで、仏教徒が顔を出すし、中西部や南部ではイスラム教徒が目立つ。北東部中心にはユダヤ教の人が集積している。アリゾナ州やデラウェア州ではヒンズー教徒が多いし、サウスカロライナ州では、世界のすべての宗教は同根とするバハイ教の信徒が多いらしい。
同記事のリンクを見ていただくと、郡ごとの主力宗派なども出ているが、アメリカを理解する上で宗教という要素を加えて見ていくと面白い結果が出てくる。これを見たから何かの結論が出るということではないが、ロハス指向が強いところと仏教の信徒が多いところと少しマッチングしている気がしてならない。ブログを再開するにあたり、仏教徒のインパクトなど、その辺りについても触れていきたい。(June 6, 2014)

Wednesday, June 15, 2011

Google社、代替エネルギービジネス強化


アメリカ検索エンジンの最大手グーグル社は、これまで、代替エネルギー分野に色々な形で参画してきた。グリーン意識が高い企業の最先端を行っている。そのグーグルが今度、個人住宅用のソーラーパネル設置に関しての事業に乗り出してきた。具体的には、カリフォルニア州サンマテオのソーラーパネル設置会社SolarCityに対して、プロジェクト投資融資財源として2億8千万ドル(約225億円)の供出をすることにした。

このグーグル社資金供出の裏には、2008年に連邦財務省が代替エネルギーへ投資する企業について、投資額の30%まで税額控除する利点が含まれていることは見逃せないが、個人の住宅のソーラー発電導入をする際に、個人が初期投資をすることなく、電力コストを引き下げることができるので、ソーラーパネルの個人宅での導入に大きなインパクトが見込まれてくるようになる。当然、ソーラーパネルを設置するSolarCity社にとっても、ソーラーパネルの調達規模を拡大することで、コストを引き下げることも可能になるし、設置要員などの雇用増大にもつながって行くだろう。

以前、私がソトコト誌で取材をしたボールダー市にあるMain Street Power社も同様のビジネスモデルを展開しているが、Main Street Power社が公的な団体(学校、病院、刑務所、あるいはアパートなど)を対象としているのに対して、SolarCity社は、個人住宅を対象としている。両社とも個人がソーラーパネルを設置する場合は、設置業者側がソーラーパネル装置全般を保有することになり、公的な電力会社よりも低額で長期にわたり電力販売契約を取り結ぶものだ。個人は初期投資を避けることができ、しかも電力会社よりも安いコストでエネルギーを買うことができるので、メリットは大きい。日本では、電力会社以外がこのようなビジネスモデルを展開できないと思うが、官僚的な縦割り行政の弊害なのかもしれない。

電力問題は、東北大震災でいかに極度の生産集中が危険なのか露呈をした。電力会社は、利益を産み出すために極度の集中生産あるいは効率を求め過ぎてきた。その極度に集中した拠点が災害にあった際には、インフラ全般への波及も見られたことから、政府としてもより柔軟な施策を導入できるような地盤造りが必要になってくるのではなかろうか?多くの家庭が、ソーラーパネルなどの設置をすれば、ダムや発電所を作る巨大建設会社だけでなく、より底辺においての経済波及効果も大きいだけでなく、関連技術やサービスの拡大にもつながってくると言える。大手優遇の経済の民主化にも役に立つはずだ。

グーグル社がやろうとしていることは、先端的行動には違いないが、これは連邦政府が率先してやっているエネルギー政策を受けているものであり、日本においても、監督官庁の規制をどのように柔軟に対応させるか、識者の政府への圧力も必要になっている。石油エネルギの約100%を輸入に依存する日本としては、民間と官界が手を組み、日本のためにあるゆる施策を講じるべきだろう。アメリカのエネルギー政策にも欠点は多くあるが、このような柔軟な施策がとれる土壌は、日本よりも強い。日本の自動車メーカーや家電メーカーが出資母体になっても、新規事業をこのような面で大いに取れるような日が来ることを願っている。

Friday, January 21, 2011

ウォールマート アメリカのスリム化に向けて運動始動


これまでこのブログで何度も取り上げてきたが、アメリカの肥満は危機的状況に達してきている。地図を見ていただくと、ボールダーのあるコロラド州は、アメリカの中で一番肥満度の少ない州であり、ことボールダー市については、健康的な人が多いことからここに住んでいると気がつかないのだが、ひとたび他州へ仕事でも行くようなことがあれば、肥満比率が高くなり別世界に行ったような錯覚に陥る。

アメリカでの肥満が年々高まってきた原因は多々あろうが、利便性と低コストが優先されたことが主因のような気がする。それに大きく、悪い意味で、貢献をしたのは農務省の長年とってきた農政といくつかの作物に対する補助金によるところが多いと多くの学者は述べている。トウモロコシ、大豆、小麦などが補助金によって大量生産されることになったこと、そうして補助を受けているからこそ、価格が安くなり、これらを使った加工食品が増えつづけ、補助金を受けない生鮮野菜や果物が相対的に高価になってしまい、健食が摂りにくくなったと言うわけだ。

どこのスーパーへ行っても、店舗の中央にある加工食品棚の商品は、果物や野菜などよりも相対的に安い。しかも、電子レンジなどに入れれば食べられるようなものも多く、安くて利便性があれば、人が流れるのはうなずけるものだ。

今週、全米で最大の小売チェーンであるウォールマートが、グレートバリューの自社ブランドで売られていた加工食品の減塩、減糖、トランスファット脂肪酸の利用削減目標を打ち出して本格的に消費者に提供する食品改革に乗り出した。このムーブメントは、そもそも、ミシェル・オバマ大統領夫人が大統領夫人として取り上げているキャンペーンの一つであり、ウォールマートの幹部を動かし、達成した大きな運動だ。

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加工食品の改善だけでなく、注目するべきなのは、ウォールマートが今回同社の巨大な調達力を利用して、野菜や果物にも焦点を当て、より価格を下げる方向性を打ち出していることだ。野菜や果物は、手頃感がないと云うことで、低所得者層の人たちが買えなかったものを、買えるようにしてあげようと企業努力がうかがえる。オバマ夫人の強い働きかけがあることはわかっていても、1民間企業へ大統領夫人がこのように働きかけ、露出の点でも協力していることは、ウォールマートの持つ業界全体への巨大な影響力を見込んでいることはいうまでもない。

ウォールマートがこのような健食運動を始動すれば、その他の食品大手が無視し得ない状況に追い込まれるからだ。ジェネラル・ミルズ社、クラフト社などなど見えざる圧力は出てきそうだ。

ウォールマートが全食品カテゴリーを見直し、規模の経済を通じて、ヘルシーな食品をより買い求め易くするようにすれば、少なくとも自宅で食事をする限りでは、健食へと次第に動き始めるだろう。ウォールマートはヘルシーフードだから値段を高くするのではなく、競争力を持つ価格帯に設定したい意向だ。こうなると他の小売チェーンなども追随することになろう。

ウォールマートといえ、清涼飲料水やすべてのデザートなどをすぐには改革することはできないだろう。しかし、アメリカでの肥満の問題を真剣の取り上げようとすれば、このように大統領夫人が音頭取りをしなければならないところに、通常の議会や官僚機構だけでの改革は難しそうだ。日本では、加工食品の比率が多くなり、食品に関する規制が、単なる官僚の事務レベルで行なわれるケースも多いだろう。しかし、健食を強く打ち出したいときには、官僚や政治を超えたレベルでの、民を思い、改革していく手段があるのだろうかとフト不安になった。ミシェル・オバマ夫人のような人が日本にも出てきて欲しいと感じる今日この頃だ。

Saturday, October 16, 2010

ロハス Forever!

ボールダーのロハス情報を月刊誌ソトコトで書き始めて、もう5年が経過した。12月号の原稿は提出したばかりなので、60回もソトコト誌に記事を投稿したことになる。長いようだが、ネタに事欠かないボールダーの街の素晴らしさを感じ取っているところだ。飽きるのが早いとされている日本人だが、ロハスについては、自分の健康や地球環境など生活に密着した内容なので飽きられることなく、これまで間違っていた社会の流れを少しずつでも正しい方向へ変更をさせていかなければいく姿勢を持ちつづけて欲しい。ロハスは流行ではなく、進化することはあっても、我々の心と生活の重要な基軸にならなければいけない。だから、闊達な意見交換ができるようになるため、ソトコトのますますの読者増を期待している。そうして皆で意見交流などをして、日本の真の発展を願っていかなければいけないと思う。

本日のアメリカのニューヨークタイムズ紙は、日本がデフレなどが原因で、景気が後退をして元気がないことを書いている。所得が下がり、購買意欲が下がっていることがあたかも悪いのだと決めつけ、日本は意気消沈していると指摘している。ある日本人がベンツから国産車に乗り換えたことなどを事例として取り上げ、景気後退の問題を指摘しているのだ。確かに、経済指標などを見ると、元気がないように感じるかもしれない。しかし、こんなときだからこそ、真の経済とは何かを考え直さないといけない。豊かさの指標とは何か、国力とは何か、健康とは何か、サステイナビリティを高められるようにどうしたら良いのか考え直す時が来たようだ。

身近なことから言うと、日本人は80年代は贅沢放題をして、世界のひんしゅくを買った。経済力の高まりで驕りも出ていたかもしれない。不動産バブルに踊り、資源、高級ワインやブランド品を買い占め、贅沢三昧だった。このゆとりの大きな原因は、日本が世界の工場と化し、輸出をほしいままにして外貨を獲得していた背景がある。もちろん、それがすべて問題なのではない。資源がない日本が伸びたのは素晴らしいことだが、「再生」経済を顧みず、経済力をベースにいつまでも競争相手が出ない、資源はいつでも手に入る、と考え輸出に専念し過ぎたところが多いと思う。デンマークなどのように、風力発電などに力を入れ、石油の輸入依存度を下げてしまっているところもある。デンマークなどの北欧に行くと資源意識が高まるなど、国民レベルでのサステイナビリティ運動を展開している。日本もこれまで軽視されていた国内インフラや食糧自給率の向上などを目指すようにしても良い時がきたのではなかろうか。

そんな時に、東京の友人Aki Satoさんから、東京オーガニックライフなるサイト開設の連絡を受けた。オーガニックライフをサポートするサイトはまだ少ないと思う。地道な活動であるが、多くの人が求めている情報に違いない。どこかの大企業がこのような活動をしようとすれば、利潤抜きでは考えられない。消費者は長い間、テレビやその他のメディアで必ずしも身体や環境に良くないものでも、売り上げを上げるために、大いに宣伝され、騙され買ってきたのだ。もちろんウェブも良いところと悪いところがあるだろうが、Akiさんが展開しようとしているのは、まっとうなことで生計を立てようとしている人たちを束ね、サポート活動しようとするものだ。

デンマークがエネルギー再生大国になった裏には、Akiさんのような啓蒙活動をしていこうとする活動家が多くいたからだ。豊かさの基準を金額換算だけで見ていく時代は終わっている、有機農法を推奨することで、国内の土壌、河川、近海の幸、資源の再利用が促されるようになることを願っており、このライフスタイルの改善は金額では計り知れない。政治家がリードできるときもあろうが、一番手っ取り早いのは、オーガニックライフをサポートすることで、徐々に日本企業や政治家の意識も変革させるようにすることだ。私にはロハス推進者の顔は元気に見える。ニューヨークタイムズ紙の記者にそれを感じ取って欲しい。ブランドモノばかりを追っかけている人が多くいる国だけが幸せではない気がする。

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Monday, May 17, 2010

劣化した食品を、本来の姿に取り戻そう

ロハスやグリーンという言葉が使われ出してからもう何年にもなる。しかし、コンセプトだけで理解をしても、生活のどこと密接に関連するのか理解し、それに沿った行動をしなかったら、ロハス云々を言っても始まらない。有機食品が推奨されるのは、化学肥料、除草剤、殺虫剤などの散布が減るからなのだが、まだ、本気で有機モノを食し、ライフスタイルを変化させようとする人はまだ少数だ。コンベンショナルもの、つまり、通常のやり方(化学品漬けで)で栽培されたモノを多く食べていても、問題にならないと考えているのだろうか?

成長期にある子供たちがタバコなどの喫煙が許されないのは、成長過程にある脳細胞などに不自然な刺激を与えないようにするためだ。特にタバコの害は、ニコチンだけでなく、タバコに散布される数多くの、殺虫剤、除草剤などの化学薬品が完全に除去されずに残留農薬として残っていることも考えねばならない。

最近アメリカのマスコミで話題になっているのは、健康を意識して与えている果物までもが、微量の残留農薬のために子供たちが脳障害を引き起こし始めているのではないかという研究の事例が報道されたことだ。子供たちがコンベンショナルなイチゴやブルーベリーをいっぱい食べていたために、残留農薬の一つで有機リン酸エステルを摂取し過ぎて、注意欠陥過活動性(多動性)障害を引き起こすのではないかと懸念されるようになったらしい。

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同じ有機でも、有機リン酸エステルは、まさに害虫の脳を正常に機能させないような成分を含んでいるらしい。当然害虫に悪いことは人間さまにも悪いのは分かりきっているはずなのに、生産性と利益率を重視するために、四半期や年度会計では表れない、トレースしにくい問題は、子供の脳の状態が悪い方へ変化していても、見て見ぬ振りをしているのではないだろうか。

現代人は自分たちの食べている食事がどこからきたと知っている人は少ない。しかも、度重なる食品加工によって、活きていた酵素がまったく消滅してしまった内容になっても平気でいるようだ。元気がないとなれば、エネルギー補給材を呑み、食べ過ぎて胃もたれするとなれば消化剤をとるような即効を求める志向が強くなっている。バイアグラだってそのような感覚で産まれているのではないかと思う。そんな中で私たち皆は、小さなチョイスを与えられ、その中で少しでも良い方向へ進まないといけないだろう。

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甘味が好きな人でも、適度が鍵だが、シロップよりは砂糖、精製糖よりは甘蔗糖、甘蔗糖よりはアガベ、コンベンショナルよりも有機、アガベサルミアナよりは低GI値ブルーアガベ、ただのブルーアガベよりは高温熱処理をされていないローフード・ブルーアガベへと進んでいる気がする。少しでも良い方へ転換しよう。いくら良いモノでも、適量を意識しつつ、自分が何を食べているのかじっくり考えて、本来の自然な美味・食感を味わいながら、食生活をしたいものだ。

Friday, May 14, 2010

ハイテクスタートアップ企業を引きつけるボールダー

ここ5年近くボールダーがロハスのメッカであることを月刊誌ソトコトで書き続けているが、最近目につくことは、ボールダーのそのロハス的な生活環境の良さが、有能なハイテク人材を引きつけ始め、いつの間にかボールダーが、ハイテク企業の立ち上げでも、米国で目立つ存在になってきているらしい。ニューヨークタイムズ紙が報道するところによると今年の第一四半期で、この街の11の企業が57億ドルのベンチャー資金をかき集めたと言う。シリコンバレーだったら、「大きな池の小さな魚だが、ここへくると小さな池の大きな魚になれる」というのだ。日本円にすると、3ヶ月で5000億円以上だから10万の街にしてはすごい。

ボールダーの街は、1950年代のアイゼンハワー大統領の頃から連邦政府のいろいろな研究機関が設置され始め、コロラド大学の存在と相まって、高等教育を受けている人の比率が高い街として全米でも知られている。当市の民間企業の有力な雇用企業の中にIBMやサンマイクロシステムズ社が入っていることからもうなずけるが、ここへきて、シリコンバレーなどがあまりにも大きくなり過ぎてしまい、今まであった自由なネットワークの雰囲気が失われ始めていることから、生活環境抜群、大都会の洗練さを持ちながらも、交通渋滞、犯罪などがあまりないボールダーの魅力が一段と魅力的な要件となって来たようだ。

カリフォルニアのシリコンバレーに続く第2のシリコンバレーになりたがっている都市は多い。相当成功しているところもあると思うが、ニューヨークタイムズ紙が取り上げている点は、若き有能なアンタプルヌアたちがこの街のライフスタイルに惹かれていることを取り上げているのが面白い。

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ニューヨークタイムズ紙が書いているところによると、通常、他の街で起業して成功した人たちは、潤沢な資金を持って新たな生活場所を求めて移動してしまうとのことだ。しかし、ボールダーで成功する人たちは、ここの生活の良さから、他の生活空間を探し求めようとする比率が少ないのだと言う。この街のお金持ちはあまり気取らない。ポルシェやベンツを乗り回す人も少ない。しかしマウンテンバイクを乗り回す人は多い気がする。ここに居ると豊かさとは何かをつくずくと考えさせられてしまう。

Wednesday, May 05, 2010

コミュニティ・ソーラー・ガーデン

オバマ政権の出現で、いろいろな意味で代替エネルギー推進の勢いは強まって来ている。ソーラーパネルを自宅や事業所に設置する人たちのために、大きな税額控除がされたり、電力会社からの自家発電量に応じた還付金なども行なわれるようになり、ソーラーパネルを設置しようとしている人は必然的に増え始めている。連邦政府の施策が、一つの行動指針になっていることは言うまでもないが、これまで何か京都議定書に沿った形で地球温暖化対策をやりたがっていた市民が、施策の追い風を受けて、実行動をとり始めたのだ。

自宅や事業所の耐候性改善、低燃費型自動車への転換、省エネ家庭電化製品などへの転換、スマートグリッドの導入によるよりインテリジェントな電力消費、風力、地熱やソーラーの活用などアメリカの経済社会が徐々にではあるが、変化を見せ始めている。省エネ電球の普及やこまめな消灯、より機能的な衣服などライフスタイルの変化にもつながっており、従来型の商品戦略から、一時的な流行でなく、より実体的なグリーン経済への転換は確実になったと見て良い。
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そのような中で、ボールダーのコミュニティ・ソーラー・ガーデン案は、州議会への法案提出という形にまで進み、すでに州議会の上下議院で通過し、法律施行に向けて、州知事の署名を待つまでになって来ている。この、コミュニティ・ソーラー・ガーデンとは、山の斜面の近くや木々に囲まれ陽射しの悪い地域に住む人や、アパートの住人で自らのところだけにソーラーパネルを設置できない人たちのために、空き地や別のところで共同でソーラーパネルを設置することによって、税額控除や電力料金の還付の権利を得られるようにしてあげる方策だ。もちろん、歴史的な家屋に住んでいる人が、不釣り合いなソーラーパネルを自宅の屋根に設置をしなくとも、その他の市民と同様の権利を得られることになり、ボールダーの住人はとても喜んでいる。

社会共同体的な意識が高いボールダーの住民が、誰でも自家発電のメリットを享受できるようにしている仕組みは、今後アメリカの他の都市でも取り上げられていくようになろう。これが社会インフラにどのような影響を与えるのか、今後とても楽しみなことだ。風力発電のクレジットなどを買って来ていた人たちが、より身近な形で、ソーラー・ガーデンを設置するようになれば、街の景色も、ソーラーの風景が強まることは必至だ。

Monday, April 26, 2010

外食産業、国民の健康と連邦政府

オバマ政権は、この春これまで長い間懸案だった健康法案を議会通過させて、法律として施行をしたばかり。五月雨式に導入される多くの施策でアメリカ人の健康が一挙に向上されると思われないが、それだけアメリカ人の健康問題が、大統領にとっては、景気回復を含む経済施策やイランイラクの戦争や外交問題さえ凌駕するところに位置付けられて来たことは注目に値する。

この健康法案の中に、あまり知られていない案件として、アメリカのすべての外食チェーンに義務化される重要な案件がある。それは、ファーストフードなどのチェーン店などに、メニューごとのカロリーを表示する義務のことだ。

Image: Suat Eman / FreeDigitalPhotos.net

それはドライブスルーのレストランにも適用される。ビッグマックのカロリーが500キロカロリーを超えると知らされずに、それを買うことができなくなるのだ。自動販売機についても同じことが適用され、スニッカーズバーなどを買う時のカロリー数値も表示されないといけなくなる。

このカロリーの表示義務については、これまでのブログでも書いて来たが、市単位で行なわれていた条例が、連邦政府の法律になると云うところがミソだ。しかも、この法律はレストランチェーン業界の賛同を得ていたから、かなり簡単に法制化されてしまったのだ。つまり、各市単位で行なわれていた条例では、対応が難しくなり過ぎること、各市の求める条件が異なり始める可能性もあることから、レストランチェーン業界が、率先して連邦基準を推進してしまった背景があるようだ。

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実施については、来年を目処にしているが、その方法や実行のやり方が決まっておらず、それが決まるまでに相当の年限がかかるだろうと見られている。元々消費者のために作られるはずだった法案が、いつの間にか業界のニーズとうまくかち合ってしまったところに、何か不思議な感じがしてならない。

連邦政府が、カロリーの表示義務化をしたところで、消費者が、それを意識しないようだったら、意味がないような気がする。個人の肥満度が上がれば健康保険料率が上がるとか、税金が上がるとかという罰則規定があれば、効果が相当上がるだろうが、カロリー表示でどこまで人の意識は変わるのだろうか?大きく変わるとは考えにくい。

アメリカの健康論議を見ていると、肥満の悪者を捜しているように感じる。トランスファット脂肪酸だったり、高果糖コーンシロップだったり、澱粉だったり、清涼飲料水だったり、ビッグマックだったり、いろいろなものが叩かれている。しかし、一方では、各チェーン店は、客を呼び込むために、相当の広告費を投じており、満腹メッセージを宣伝している。やはり、スーパー・サイズ・ミーの世界はなかなかなくならないのだ。

健食と外食産業が相容れないコンセプトのようであり、それを調整していくのには、かなりの努力も要る。学校給食などで、野菜果物をより消費する動きも強くなっているが、外食産業が巨額の予算宣伝で売り込む勢いにはなかなか勝てない。連邦政府がいかにカロリー表示を義務化したところで、外食産業がうまくそれを取り入れてしまい、肥満予防の効果は生まれてこない気がする。

何ごとも、腹八分でいかなければならない。良いモノだって食べ過ぎれば、効能はなくなるどころか、毒にさえなってしまう。健康に良いとされるハチミツでさえ、飲み過ぎれば毒とことわざの通りだ。今では、外食産業において塩の制限さえ検討されている。利益を求める外食産業としては、国民の健康を願いつつも、連邦政府とのイタチごっこになりかねない。健康は、政府に決めてもらうのではなく、自らの判断で、自らの消費を通じて、健康を意識しながら、消費者一人一人が追い求めていかなければ、ことは解決しないだろう。できるだけ良いモノを、適正な範囲で食することに努めていきたい。

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